東南アジア紀行② アンコールワット傍の池で地元民とまさかの飲み会?!ゲストハウススタッフとまさかの出会い
どーも。
東南アジア3日目である。
今回はカンボジア編。
カンボジア入国のためにはビザが必要になってくる。
事前にいろいろネットで調べていたのである程度把握していたが、
陸路での入国の際、わいろを渡さないとビザを発行してくれないということ。
バスに乗り込むと、ドライバーの補助みたいな男が慣れたふるまいで観光客からお金を徴収し始めた。
ビザ申請の際、自分の証明写真を持っていれば申請費用は払わなくていいというような記事を読んだが全くのガセであった。
あらかじめ証明写真を用意していたが、無駄だった。
集金男に写真を持ってるから払わなくていいだろと言っても全く聞き入れてもらえず。。。
あえなく、みんなは払った30$を同じように支払った。
長時間のバス移動である。
午前出発でアンコールワットにあるシェムリアップに着いたのは23:00過ぎごろだったため、15時間くらいはかかったと思う。
国境越えはすんなり手続きが終わり、カンボジアのサービスエリア的なところへ休憩のために立ち寄った。
レストランに入り、WI-FIも通っていたため、パスワードを教えてくれと店のスタッフに伺うと無視された。
単純に忙しくて聞こえていないだけだと思って何回か声をかけても無反応。
しつこく聞いたら、教えないよと軽くあしらわれた。
なんと冷たい国だと思った。
これまでいろんな国を回ってきたが、教えないよと言われたのは初めてだった。
ホーチミンの人たちの人当たりが非常に良かっただけにショックも大きかった。
悪路に揺られ、半分車酔いしながらも乗り継ぎ先のプノンペンまでたどり着いた。
乗車率6割程度だった客のほとんどは、プノンペンが目的地だったようで、
乗り換えてその日にシェムリアップまで行く人はほとんどいなかった。
バス乗り換えのバスを待つ間、同じバスに乗っていた同じくバックパッカーのユラと話した。
ウクライナでコンピューター関連の仕事をしており、
今はバカンスで東南アジアを旅しているという、30代後半くらいのお兄さんといったような感じ。
ホーチミンからのバスでシェムリアップまで行く人はどうやら僕とユラの2人だけだったみたいだった。
プノンペンからシェムリアップまでのバスも2人以外はどう見ても地元民だった。
ユラは宗教とか神様に興味があるみたいで、
アウラとは何かとか、人にいいことをしたら自分にも帰ってくる考えなんかを熱意を込めて語ってきたが、あまり興味がなかった。
シェムリアップの街に近づくと、バイクタクシーのおっさんたちがまだ走行中のバスに並走してきた。ほかのドライバーより早く客をとってやると言わんばかりに、ジンベイザメに張り付くコバンザメのようについてきた。
到着後、バスを降りるとプロモーションの嵐。(笑)
俺はこんなプランをもってるぞとか、〇〇$で案内するぞとかとにかく忙しかった。
何が一番いやかというと、説明を受けている間は突っ立っているので蚊に刺されまくったということだ。
ただ、周りは真っ暗だし、土地勘もないので、一人のドライバーの話を聞き、その日はそれぞれの宿まで送ってもらうことになった。
もともと一緒に行動するつもりはなかったが2人でバイクタクシーを使うと安くなるので2人で使った。運転中はドライバーはもう翌日の話をしてきたアンコールの遺跡をまわって〇〇$だと。。
僕は非常にこのドライバーを疑っていた。
どうせ、最初安い値段で吹っかけておいて最後の請求の時にバカみたいな金額要求してくるだろうと。
僕は心からお断りしたかったが、ユラは信じようといった。
ユ「俺にはわかる。彼は良いやつだ。」
てなことで、1日2人で30$でこのドライバーを雇うことになった。
気づいたらいつの間にかユラと一緒に行動することに。。
僕「I'm suspecting him. He would cheat us.....」
ユ「Don't worry. I know he's good guy.」
二人での行動はどちらか一方が妥協しなければいけないことはたくさんあるのだ。
てなことで、運ちゃんは翌日も宿に迎えに来てくれることになった。
部屋に入ってくる大量の蚊と格闘しながら寝れない時間が続いたが、
1000円以下のきれいなゲストハウスに泊まった。
到着した日は真っ暗で見えなかったが、こちらの宿は
きれいな金色のWAT KAESARAMというお寺の敷地を抜けたところにこじんまりと立っている。立地的にも夜は騒がしくない場所にあるのでお勧めだ。
バイクタクシーの運転手(運ちゃん)を待っている間、
受付で働いている青年と仲良くなった。
サービスエリアでの冷める体験があったから、どうかなと思っていたが彼は本当に話も合うし良いやつだった。ここは絶対行ったほうがいいという観光地だったりシェムリアップの人間はプノンペンの人間に比べてお人よしが多いということであったり。。
僕は彼を
夜食事に誘った。
僕「お勧めのレストランはあるか?一緒に行こう!!」
彼は快く賛成してくれた。
「俺のバイクでおすすめのスポットに連れて行ってあげるよ!!!」
そこで、僕はカンボジア人について勘違いをしていたことに気づいた。
カンボジア人はみんな冷たくて、お金を持ってそうなアジア人を見ると
すぐにどうやってそいつらからお金を巻き上げてやろうかと企むやつばかりだと思っていたが、彼の一言でその間違った考えに気づけた。
ありがとう。
※いろいろあって、彼の名前は「明」と呼ぶことにする。
夜19:00に明と宿泊したゲストハウスで待ち合わせをしたところで運ちゃんが迎えに来た。
運ちゃんは約束の時間に迎えに来た。上の写真は丁度寺の敷地内を通過しているところ。
ユラを乗せ、アンコールの遺跡群のある場所へ向かうが、その前にパスが必要になってくる。そのパスを取得するため専用の受付に行く。
取得方法など全部運ちゃんが教えてくれた。
「こいつ、いいやつかも」
アンコール遺跡群の敷地は非常に広い。
しかも、常に常夏状態なので、油断しているとすぐ熱中症になってしまう。
建物の中に入ると、パスの申請者で溢れかえっているが、日本の団体客ばかり。
写真を撮られ、高い金を払いパスをゲット。
いよいよ、定番アンコールワット。
遺跡と遺跡の間はそれぞれかなり離れている。
バイクタクシーの利用は必須だ。
遺跡観光中、運ちゃんはずっと僕たちの帰りを待ってくれている状態。
バイクタクシーから器用にハンモックを取り出してすやすや寝ている。
遺跡の周りは商店が出ていたり、ジュースを売っていたり。
遺跡周りには観光客からお金を巻き上げるべく様々なお店がある。
お土産類なんかは、「定価」という概念が崩壊していて、
値段交渉がマストになる。
Tシャツも最初は7ドルだったものが1ドルくらいまでなることなんかザラにある。
東南アジアの商売人は騙し合いで生計を立てている。
ただ、これは「文化」なので悪いとは思わない。
が、
小さな子供たちももちろんこの文化の影響を受ける。
甘いマスクでお土産のマグネットを買ってくれと迫ってくる。
子「自分は貧乏なんです、わたしみたいな恵まれないいたいけなこどものために一つ買ってください」と目で訴えかけてくる。
カメラを向けると舌をだして営業スマイル。
買わない客だとわかった瞬間、見えないところでののしってくる。
こいつら全然かわいくねえ。
4つほど遺跡を周ると15:00くらいになった。
夕日を見るのにお勧めの場所があるということで、夕日の時間にその場所に連れて行ってくれるとのことで一度宿に帰ることに。
カンボジアで夕日といえば、アンコールワットへの日没だが、運ちゃん曰くそうではないらしい。
とりあえず、同じ宿に戻った。
砂埃や湿気がひどく、足元はドロドロになっていた。
明はまだ働いていて、僕は既にチェックアウトしているのにも関わらず、シャワーを無料で使わせてくれた。
少しするるとまた運ちゃんが迎えに来てくれた。
40分くらい、2人を乗せたトゥクトゥクは走った。
到着したのは、シェムリアップの南にあるトレンサップ湖という湖であった。
運ちゃんは、ここのボートクルーズでの夕日がきれいとのことで僕たちを連れてきてくれた。
ボートは僕とユラのみ。
景色は最高だった。
最高な時間を過ごし、また宿に戻る。
明との待ち合わせのために。
彼は約束通り、バイクでやってきて友達のところに連れていくと言い出し、
僕を後ろに乗せ走り出した。
街灯もない真っ暗なところを走っていると思えば、気付いたらアンコールワットの池のほとりだった。
彼の友達何人かがシートを引いて、食べ物やお酒を持ち寄ってパーティーをしているではないか。
それに私も参加させてもらった。
月夜に照らされ不気味に見えるアンコールワットを横目にパーティーは行われた。
もう日本人もカンボジア人も見分けがつかない。
白シャツの青年が明。
彼には隠していたことがあり、僕に教えてくれた。
「ハジメマシテ、ボクハニホンゴヲベンキョウシテイマシタ」
なにぃ~~~~~
これまで、英語で会話を行っていたのだが、彼は高校生の時に日本語を専攻し、
日本語が話せるのだ。
しかも、
今集まっている友達もみな日本語専攻だったという。
驚きの連続である。
異国の地カンボジアでこんな素敵な出会いがあるなんて。
しかも、食べ物やお酒までいただいてしまって、、、申し訳ない。。
「ジョルダンサン、オサケスキ?」
「酒?もちろん!」
「ジャアコレスゴクオサケニアウヨ」
ピントが合ってないが、酒の最高のつまみとして出されたものは、
バッタ。
バッタだった。
「アンガイオイシイカラタベテミテ」
いや、案外もくそもない、バッタには変わりはない。
「ああ、いけるやん!ありがとう!!」
とは言ったものの、味のない何かの素揚げをひたすら食べているようである。
みんなには言えなかったが、
決しておいしくはなかった。
ただ、彼らの優しさにただただ感動した。
明たちに比べて僕たち日本人は莫大なお金を持っていて、明たちは今もカツカツの生活をしているはずなのに、お酒と食べ物を僕は一銭も出す必要はないと言ってくれた。
しかも、アンコールワットから市内に帰ってくると友達が働いているバーにも連れて行ってくれ、そこでも酒を奢ってくれた。
ありがとう明、ありがとうカンボジア。
そして次の日私はラオスへ向かうのであった。
P.S.
明はFACEBOOKをやっており、そこでの名前が明だった。笑
また、運ちゃんだがラオスまでの飛行機での移動のため、空港まで行くのも彼が乗せて行ってくれた。
ユラは次の日にタイに行くということで別れた。
運ちゃんだが、僕たちが遺跡を観光している中、水を用意してくれたり、寄りたいところがあると言ったらそこまで連れて行ってくれたり、
非常に人間味のある人だった。
ユラは最初の言い値しか支払っていなかったが、運ちゃんと分かれる際、
少し多めにお金を支払った。
彼は今日もお客さんを乗せ働いている、
アンコールワットをかけまわりながら。