ヒッチハイクでブルガリア横断した話 (読みきり)
▮JOURNY IN THIS TIME
ブルガリアへ留学中、2月ほどある夏休みの間にドイツ人のパトリックという友達とヒッチハイクでブルガリアを横断する旅をした。
僕にとってそれまでヒッチハイクなんて日本でも行ったことがなかった。
今回はパトリックとともにヒッチハイクでブルガリアを横断する旅のお話である。
その旅は僕の考え方や価値観を一気に変えてしまった旅となる。
これまでの旅で一番印象的な旅である。
▮2015年06月初旬 旅のきっかけ
留学先のソフィア大学が夏休みに入った。
次のセメスターが始まるまで2か月ほどあるため、日本の大学よりもはるかに多い休みとなる。
当時僕は海外の留学生が集まるドミトリーで生活をしていた。
ほとんどの留学生は半期しかいない。丁度、夏のセメスターから冬のセメスターに代わる夏休みはドミトリー内の留学生たちがほとんど総入れ替えとなる。
僕は、ソフィア大学に1年間留学するため、夏のセメスターで出会った学生を見送り、
新しく来る学生を迎え入れる立場にあった。
そんな中、夏のセメスターで知り合ったドイツ人のパトリックが一人でブルガリアを旅する計画を練っているのを知った。
彼とは夜ほかの仲間たちとよく飲みに行ったり、サッカー観戦や実際に一緒にサッカーをする仲であった。
世界の政治、貧困、経済に関して学んでいたこともあり
「そんなことも知らないのか」とよくいろんなことでからかわれていた。
そんなパトリックがブルガリア横断旅に僕を誘ってくれた。
パトリックも夏のセメスターで留学が終わるため、夏休みの間に東アジアを旅をして、母国のドイツへ帰るという。
パ「ブルガリアのUFOって呼ばれている場所を知っているか?」
パ「そこまで行こうとしている。一緒に行こう。」
UFOと聞いて頭が「?」となった。
僕「どこにあるの?何それ」
写真を見せてもらうと山のてっぺんに、本当にUFOみたいな建物があるではないか。
※かつてブルガリアが共産党時代に国力を示すものとして建てられた建物で、国際的な会議などが行われる場として使われたが今は正面入り口は閉ざされ、中は朽ち果て廃墟と化している。今回の旅では訪れてはいないが、別日に内部を探索しているのでまた違う記事にできたらと思っています。。
※今回の旅ではUFOには行ってません。画像・動画は別日に訪れたものです。
僕「すげー!いくわ!!(笑)」
だが、ヒッチハイクで行くと言っていたため、その日は断った。
ヒッチハイク=危ない
こういった固定観念が決断の邪魔をした。
パトリックから学べることはこれまでにもたくさんあった。
心のどこかで彼をリスペクトする自分がいたため、
ヒッチハイクに対して「怖さ」はあったが挑戦することにした。
パ「ヨーロッパでは普通だぞ。怖くない。交通費節約できるで。」
▮2016年06月初旬 旅の準備
出発に向け、意気込んでいる自分がいた。
パトリックと空いた時間に旅の計画を練る。
まずは行先と宿探し。
ブルガリアのリゾートと呼ばれる黒海に面した街ブルガスを目指し、
旅をすることにした。
実はほかに仲の良かったスペインと日本の友人3人がまだ大学のテストが残っていたため
夜行バスを使ってブルガスで落ち合うことにした。
ソフィアとブルガスはブルガリアの西と東。
距離で言えば400KMくらいだろうか
車で行けば5時間はかかる。
広島から京都くらいの距離だ。
僕たちは最終目的地をブルガスにして、途中ブルガリア中央のヴェリコ・タルノヴォから南に行ったところにある、UFOの建物、ブルガリア旧共産党ホールに行って、バルナに行き、ブルガスを目指すことにした。
旅費をとことん抑えるため、カウチサーフィンで宿を探そうとした。
※カウチサーフィンについて👇
UFOに行くには、シプカという小さな村があるのだが、
そこが一番近かったためホストを探したが見つからない。。。
タルノヴォやバルナ、ブルガスでも探したが、
旅行中は、すでにほかのゲストを迎えるか、用事があるとのことで宿が見つからなかったため、ゲストハウスを予約した。
次にどのルートで最終目的地であるブルガスを目指すか。
僕たちは本屋さんでブルガリアの地図を購入し、机の上に広げ検討した。
その時に教えてもらったのが「ヒッチWIKI」。
ヒッチハイクには欠かせないツールの一つで、別記事で詳しく記載してるので参考あれ。
どこからヒッチハイクを始めるか、どのルートでUFOを目指すか。
いろいろ考えながら計画を練る。
僕も何かできることがないか考えていた。
そうだ、ヒッチハイクといえばでっかい段ボール!!
車から見やすいようにでっかいのを拾おう!
ヒッチハイク=でっかい段ボール
ゴミ箱をあさってまさに上の絵みたいな大きな段ボールを見つけてパトリックのもとへもって行った。
びりびりっっっっっtttttttt......
パトリックは僕の段ボールを4分の1の大きさにした。
それに、かなり雑に。(笑)
パ「ヒッチハイカーを乗せようとするドライバーは、ヒッチハイカーを乗せたいから止まってくれる。行先を確認するのはそのあとだ。だから、小さくていい。邪魔だろ。」
僕「なるほど」
まあ、ドイツ人は合理的というかなんというか。。。
そして僕たちはヒッチハイク当日を迎える。
▮2016年06月18日 ヒッチ当日
・・・・あいにくの雨である。
僕たちはまずは、高速道路の入り口手前の開けた場所まで地下鉄とバスを乗り継ぎ向かった。
段ボールにはブルガリア語で「Казанлъ̀к(カザンラク)」と書き、車を待った。
実はこの町はバラで有名で年に1度のバラ祭りではバラの嬢王を決めるコンテストが開かれる。
さすがにシプカは小さな村になるので、少し離れたカザンラクから、
まずはUFOを目指す。
小雨の中、僕たちは15分交代でヒッチハイクをする。
パ「大切なのは笑顔だ」
そう助言してくれた。
段ボールは雨に濡れてふにゃふにゃである。
旅人自体少ないソフィア。
そう簡単には車は止まってくれない。
ましてや、こんな雨にさらされている若造二人を乗せてくれる人なんて現れるのだろうか。
15分が2回、3回と過ぎていった。
笑顔が大切といったパトリックは笑っていない。
・・・よく見たら笑っていた。(笑)
彼もまた僕と同じで、普段は無表情。
30分くらい待ってみて、一向に車が止まらなかったため、
行先を「Велико Търново(ヴェリコ・タルノヴォ)」に変えた。
ブルガリア第三の都市である。
この街は、琴欧州の故郷だ。
写真のサッカーボールはフランス人の友人フゴから受け継いだもので
暇なときはパトリックとサッカーをしようということで持って行った。
地味~に場所を変えながら試行錯誤を繰り返し、
やっと1台の車が止まった。
ドライバーは英語が話せない純粋なブルガリア人だった。
僕たちは一気にヴェリコ・タルノヴォまで行った。
▮第三の都市 ヴェリコ・タルノボ
タルノヴォの中心地で降ろしてもらい、まずはゲストハウスへ荷物を預けにいく。
この街の見所はおもむきある旧市街。
かなり特徴的なのは、
旧市街の中心にはアッセン王の大きな銅像があり、それを囲うようにヤントラ川が流れる。そしてさらに川の外側の山の斜面には旧市街の建物が連なる。
かつてはブルガリアの首都だったこ歴史もあるタルノボ。
街歩きはかなりおもしろい。
街のあちこちには落書きやオブジェがある。
「コミュニスト=テロリスト」
中には、ブルガリアの政治批判を訴える落書きも。
この気持ち悪い人形は「クケリ」といって、厄払いの神様である。
毎年行われる収穫祭でこのクケリの衣装をまとった人たちが街に繰り出す。
かなり不気味である。
夜のアッセン王。
地元の人のデートスポットになっているようだ。
夜は、パトリックに連れられビリヤードに挑戦。
人生初となるビリヤード。
たくさん楽しんだ後はゲストハウスの庭で晩酌。
翌日の計画を立てる。
このタルノボだが、実はこの旅の2週間後くらいにまた訪れることになる。
というのも、ソフィア大学が夏休みの間、だらだら長い休みを過ごすのも
無駄なので、タルノボ大学が主催するブルガリア語・文化セミナーに参加することになっていた。滞在期間は1ヶ月。タルノボ大学の寮に入る予定だった。
今回の旅はその下見となった。
スペインと日本の友人とブルガリアのリゾート、ブルガスで合流するまであと3日。
ブルガリアにはリゾートと呼ばれる街がもうひとつある。
バルナという街だ。
彼らと合流するまでにバルナを訪れておきたかったため、日程的な問題や、
ヒッチハイクでいける可能性が低いUFOの建物を訪れるのは止め、
そのままバルナを訪れることにした。
ゲストハウスには20才くらいのイタリア人カップルが宿泊していた。
ドミトリーの6人部屋に僕・パトリック・イタリア人カップルの4人が泊まっていた。
翌日。
▮2015年06月19日 ブルガリアのリゾート、バルナへ
朝は強い方だったので、誰よりも早く起きた。
気付いたら、イタリア人カップルは二階建てベットの1段目に2人で寝ていた。
その彼女は髪の毛を銀色に染めており顔も結構かわいかった。(笑)
そのままシャワーを浴びて、歯を磨き、部屋に戻った。
その彼女が真っ裸で立っていた。
僕「OOOOOOOOOOPS!!!!!!」
アイムソーリーと言って、2秒で開けたドアを閉めた。
彼女は丁度服を着替えていた。
女「It' OK. 気にしないで。」
と言って暖かく僕を迎え入れてくれた。
ゲストハウスはこういったハプニングがあるのでやめられない
こんなことを書いていては何のブログかわからなくなってしまうのでこのあたりでイタリア人のお話はお終い。
ゲストハウスのスタッフと話し、ヒッチハイクに丁度いい場所を教えてもらった。
赤丸部分。そこが丁度、タルノボの街を出てバルナ方面に行く車が通る場所だということだ。
橋の手前で僕たちは2度目のヒッチハイクをした。
15分の2セット目でいきなり車が止まってくれた。
今回乗せてくれたのはイケイケのタルノボ女子2人組。
彼女たちもバルナへ行くとのことなのでご一緒させてもらうことにした。
かなり荒い運転をしながらバルナを目指す。
お茶目なパトリック。
NO SHUMENSKO NO LIFE.
ソフィアに留学していた僕たちはシュメンという町のシュメンスコというビールをいつも飲んでいた。その町の標識に「NO」のサインが書かれていたので、そんな「シュメンスコのない生活ありえない」ということでぱしゃり。
バルナ到着。
肌寒くて泳ぎはしなかった。
夜は海沿いはクラブやバーが一斉に盛り上がる。
海外のリゾートといったところだ。
この街は2014年に津波が町を襲った。
13人の人々が亡くなった。
人々が不正に家を建てたり、排水システムの管理の怠惰からこのような被害を被った。
当時の状況を伝える写真展にも立ち寄った。
この町の落書きも、タルノヴォ同様アーティスティック。
黒海に面している町なのでカモメがいる。
夜はローカルなレストランを探した。
翌日は、世界遺産都市にもなっているネセバルという小さな黒海に面する町を目指すことにした。
翌日。
▮2015年06月20日 ネセバルからブルガスへ
場所的には丁度、バルナからブルガスに行く途中にある。
世界遺産にもなっているため、せっかくだし行ってみようかという感じで行ってみた。
今回も30分ほどで車に乗れた。
最初ヒッチハイクにビビッていた自分が情けない。
道中はロシアのロックンロールがガンガン流れていた。
黒海沿いは大小様々な都市や町がリゾートとして動いている。
その中でもバルナ、ブルガス、ネセバル、ソゾポル、アルベナは人気のリゾートだ。
ネセバルは世界遺産都市にもなっていて、町が小さな島のようになっている。
まああまり世界遺産には興味がない僕たちなので、
先を急ぐことにした。
4回目のヒッチハイク。
ついにブルガスを目指す。
今回は初日同様雨が降り出してしまった。
しかし、ドライバーが雨に打たれながらヒッチハイクしている僕たちを心配してくれ、ものの5分ほどで乗車。
人間みんな優しい。
ついにブルガス。
ここまでくるとどこのリゾートも同じに見えてくる。(笑)
翌日はついに寮の仲間と合流する。
その日は町を探索し、食費を節約するためスーパーで野菜を買い、
ゲストハウスで調理した。
▮WHAT MADE ME CHANGE
この旅で分かったことは、
パトリックはスマホを持っていない。
ケータイはPHSのような、通話しかできないようなケータイ。
僕が道中、スマホのGOOGLE MAPで確認しながら行きたいところまでのルートを見ていたら、「それ使わずに行こう」と言ってきた。
紙の地図があったためそれであちこち歩いた。
彼曰く、GOOGLE MAPやナビで目的地まで行くと、「目的地」までしか行けない。
目的地までは、スマホにとらわれ例え途中何か気になる場所、店があったとしても生気のルートではないから行かないだろう。紙媒体であれば、もし何か面白そうな道や店があったときふらっと立ち寄れる。ほとんど前を向いて歩くから、小さな変化にもすぐ気付くことができる。GOOGLE MAPは便利だが大切なことを忘れがちである。
また彼は極端に写真を撮りたがらない。
写真も、旅が写真を撮るための旅になってしまったら非常に心が貧しい。
本当に感動できる場面、美しい場所、圧倒されるシーンというのは
フィルムに収めなくても何年たっても記憶しているものだから。
彼のセオリーが妙に僕に刺さった。
僕の「何か」を変えた。
彼のルールでこの旅を楽しむことにした。
だから終盤はあまり写真がないのだ。
翌日僕たちは無事合流した。
リゾートを満喫した後、僕と日本人の友人Tとともに夜行バスでソフィアへ帰った。
スペイン人は東アジアをこのまま旅をするとのこと。
パトリックは、そのとき丁度パトリックの彼女がトルコのイスタンブールを旅行しているというので、ブルガスからイスタンブールまで一人でヒッチハイクで行くという。
ただ、国境を越えるので、さすがにヒッチハイクだとどうなるかわからないと心配していたが。。。
パトリック
彼は僕の留学中に、もっとも僕を変えた一人である。
▮おまけ
ソフィアに帰り、数日後、パトリックからメッセージが届いた。
僕たちがブルガリア横断中に撮った写真がほしいとのこと。
やっぱりもっと写真撮っとけば良かったと思っているのでは?と想像し
微笑ましくなった。
彼の口癖は
”JUST SPONTANEOUSLY” (ただやりたいと思えば)
飲みに誘ってくれるときも
イベントごとを開くときも
そして
ヒッチハイクやろうと言ってくれた時も
この言葉を使った。
本能のままに、やりたいことをやりたいと思ったときにやる。
彼と旅をして良かった。