東欧3カ国を巡る② アウシュビッツで感じた当時の悲惨さ
▮いざ、アウシュビッツへ
さて、ポーランドに到着した夜は、
コンビニでアーモンド味のウォッカの小瓶をお土産に購入。
ついに翌日はアウシュビッツである。
行き方はバスか鉄道の2種類あるようだが、
クラクフの中央駅から鉄道でアウシュビッツのあるオシフィエンチム駅まで向かった。
アウシュビッツ第一収容所と第二収容所である。
お互いの建物は2.5km位はなれており、
この2種類の建物の行き来はシャトルバスを使えるので便利である。
最初に向かうのは、
駅から南にある収容所が第一収容所。
そこで、見学のためのチケットが購入できたり、
ガイド付きの見学ツアーの予約ができる。
時期によっては、収容所内の見学はガイド付きでないとできないこともあるので
注意しよう。
繁忙期は、大変込み合うのでホームページなどで事前予約がお勧め。
公式ホームページ:Auschwitz-Birkenau
そのほか詳細については、
いろいろな方々が記事にしているので参考にしてほしい。
オシフィエンチムの駅に着くと第一収容所まで15分ほど歩くことになる。
町の雰囲気はかなり田舎の住宅街。
収容所の周りには基本的にはなにもない。
第一収容所の隣に小さなレストランがあるだけ。
受付で英語ガイドの見学ツアーの予約をした。
30分くらい待ち、セキュリティーチェックを受け、いざ見学へ。
▮英語ガイドによる見学
15分おきくらいに20名ほどのツアー団体が出発していく。
" Arbeit macht Frei "
(アルバイト マハト フレイ)
=「働けば自由になれる」
見学のスタートはこの正門から。
収容者に待っているのは自由なんかではなく、地獄であった。
ここで初めて「アルバイト」という言葉がドイツ語からきたことを知った。
後ろを振り返ると次のツアー団体が。
このときはちょうど八月で繁忙期になるためかなり観光客は多かった。
ポーランド人による英語のガイド。
2枚目の写真は、収容所につれてこられた人が、振り分けられている様子。
働けるものか、そうでないか。
働けないとわかればガス質に連れて行かれる。
みせしめのために多くの者が射殺された場所。
逃げることもできなかった、柵には電流が流れていた。
ガス室。
多くの子供、女性、病人、ゲイが殺された。
ガス室の処理をするのも収容所で働かされていた強制労働者だった。
続いて、第二収容所へ。
シャトルバスで移動する。
通称、地獄の門
何十時間も狭い貨物車に入れられ、この収容所につれてこられる。
「シャワーを浴びれる」と言われ、連れて行かれるのはガス室であった。
修学旅行中のイスラエルの学生たち。
当時、この貨物車ひとつに100人の労働者が乗せられていたという。
本当にのどかな場所で、約70年前に、そんな悲惨なことが行われていた場所団なんて想像できない。
当時、収容者が寝ていた場所。
この狭いところに1区画に3,4人が寝ていた。
とまあこんな感じで、3~4時間くらいの見学だった。
薄っぺら意気地になりそうなのであえて感想は書きません。
それぞれが何かを感じることができる場所です。
翌日は、クラクフからバスでビエリチカ岩塩鉱に向かいます。