ヨーロッパで一番標高の高い村へ行ってきた話① ―ジョージア(旧グルジア)トビリシ―
ヨーロッパで標高が高い場所といえばどこを思い浮かべるだろう。
スイス?
実は丁度ヨーロッパとアジアのはざまにあるジョージア(旧グルジア)には、
ヨーロッパで一番高いと言われる村が存在する。
その名はウシュグリ。
ジョージアといえばアメリカのジョージア州を思い浮かべる人がほとんどだと思う。
日本人にはあまり知られていない国ジョージア。
僕も初めてジョージア人の友達ができたときは、彼の生まれを何度も聞き直した。
アメリカ?
ギリシャ?
どこ?????
だが、この国、非常に魅力に溢れた国なのだ。
ワイン発祥の国
黒海に面しており、リゾートも充実
物価はバカ安い
ヨーロッパ一標高の高い村がある
ジョージアは国の位置的にヨーロッパの国と呼べるのか怪しいところはある。
最近は、ずっと「グルジア」とロシア語読みで呼ばれていた名を「ジョージア」と英語読みに変えた。
ロシアとは仲が悪く、ロシアとの国境沿いではジョージア領なのにロシア軍がのっとっているエリアがあったりとか。
が、んなことはどうでもいい。
とにかくこの国は素晴らしい。
もともと、この国への旅を決めた理由は、
留学中、ジョージア人の友達ができてその国についていろいろ調べているときに
ある一つの記事を読んだから。
「ジョージアに行くべきでない35の理由」
35ものジョージアの魅力を皮肉めいて書いている。
丁度夏休みになりジョージア人の友達のディトが首都トビリシに帰るということで
一緒にお供させてもらうことにした。
ブルガリアからトルコまで夜行バスで8時間。
さらに、飛行機で首都トビリシへ。
空港を出た瞬間から英語はほとんど通じない。
ディトにガイドしてもらいながら街を案内してもらった。
僕と彼との仲が深まったきっかけとして僕の名前が「しょうた」だったからだ。
初めて彼と自己紹介をしたとき、
「しょうた」という名前に彼はものすごく反応した。
どうやら、「しょうた」という名前、ジョージアでは非常にポピュラーな男性の名前だからだ。
というのも、ジョージアで一番有名な詩人の名前が「ショータ・ラスタヴェリ」という方。
「ショータ」は銅像にもなっているし、その前の通りは「ショータ・ストリート」という感じで道の名前にもなっている。
てなわけで、ディトとは仲良くなった。
彼は僕にいろんなところを紹介してくれた。
あらゆるチェーン店がジョージア語で書かれている。
この国の文字はミミズみたいでどこか愛くるしい。
市街地は道路もかなり整備されていてきれい。
ジョージアは温泉の源泉もあり、下の写真の近くでは硫黄の匂いがする。
近代的な建物もある。
最近中国の資産家たちがお金を投資しまくって、どんどん新しい近代的な建物を建てまくっているらしい。。。
この看板。
よく見ると、いろんな宗教の建物が集まっている。
モスク、シナゴーク、大聖堂、教会・・・・・
さすがワイン発祥の国。
食事も奢ってもらった。
そこで出てきたものは
ジョージア式餃子とでもいえようか。
「ヒンカリ」という食べ物。
大きさはこぶしくらいの大きさで、袋を破ると肉汁がぶわ~っとあふれ出てくる。
美味。
ジョージアの朝飯といえば「アチャルリ」。
外側はカリッ、中はふわっとしたパン生地の真ん中に卵とたっぷりバターやチーズを入れて食べる。また、ひき肉を入れたアチャルリもある。
ジョージア飯。カロリーは高めだがうまい。
うまい飯にうまい酒。
これだけで満足である。
ジョージアの豆知識を一つ紹介すると、
ジョージアの警察は、安心しても大丈夫だと言われている。
この感覚がおそらくふつうは理解できないだろうが東ヨーロッパやアジアの国になると
警察がわいろを要求したりといったことはごく当たり前。
汚職だらけなのだ。
そんな中で、ジョージアの警察は超クリーン。
なぜなら、交番がすべてきれいなガラス張りの建物でできている。
汚職なんてしていませんよ
ということを示すアピールなのだ。
というのもかつては、ジョージアの警察も汚職だらけだったらしい。
そこで当時の大統領が汚職を防ぐために、交番をガラス張りにしたそうな。
夜になると夜景を見るべく、ムツミンダ公園という丘の上にある遊園地まで登っていく。丘の上にはレストランもありかなりロマンティック。
中央より少し右上にあるのはサメバ大聖堂。
一段と輝いている。
お昼のサメバ大聖堂。
てなことで、この日一日のジョージア旅は終わり。
明日からは、本題のウシュグリを目指す。
【留学先で迷う学生へ】イギリスとブルガリア2ヶ国を留学した私が伝授する自分に合った留学先の選び方とは
学生時代、英語の先生になることを夢見て2か国を留学した。
イギリスとブルガリアである。
ロンドンの語学学校に1か月、
ブルガリアの首都にあるソフィア大学の教育学部で1年間留学した。
どちらも、ヨーロッパの国ではあるが
生活水準は対照的である。
言語も文化も異なる。
そんな2ヵ国で留学を経験したからこそ、お伝えできることがある。
大学生活は4年間、金銭面的な問題もあり、1年間の留学なんて、ほとんどはできても4年間で1回のみになるだろう。
だから、留学先で
「あの国に留学しておけばよかった」
といったような後悔はしてほしくない。
「留学はしたいがどの国へ留学したらいいかわからない」
そんな悩める学生の助けになる記事になっている。(つもり)
ロンドンとソフィア。
留学先の方面としては、王道方面とマイナー方面。
なかなか好きでソフィアに留学しようとは思わない。
【生活】
ロンドンへ留学すれば、語学学校もたくさんあるし、日本人もたくさんいる。日本食レストランもたくさんあるので、日本食ロスにはならない。英語に関しては、生活の中で磨きをかけていける。ただ、難点は物価の高さである。市内のレストランに行けば必ず1500円は超える。
ブルガリアのソフィアの留学になると、まず言語がブルガリア語になる。EU加盟国ではあるがほんの20数年前までは、ブルガリア人の学校の第二言語はロシア語を勉強
していたため基本的に若者以外は英語が通じない。英語が話せたとしてもなまりはかなり強い。また、日本人は少ない。1年住んでみても、日本人観光客の集団やバックパッカーを見たことは一度しかない。日本人がいるとすれば、私みたいな留学生が数人と日本語を教える先生、あとは領事館関係で働く方々のみになる。食に関して言うと、日本食はかなり少ない。東ヨーロッパの日本食の流通自体がほとんどない。そのため、リアルな日本食レストランはほとんどない。低クオリティーなおすし屋さんはあるが到底行けたものではない。物価はかなり安い。何を買うにしろ、衣類を除けば日本の値段の約2分の1で買えるのでかなりぜいたくな暮らしができる。
とまあ、簡単に二つの特徴を述べた。留学する目的によっても、どの国を選ぶかは異なってくると思う。次に二つの国のメリットデメリットをまとめた。
【メリットとデメリット】
〇イギリス留学のメリット
・母国語は英語のため、言語能力は上達しやすい
・日本食に困らない
・地下鉄が発達しており市内の移動は大変便利
・プレミアリーグの試合を生で観戦できる
・「シャーロックホームズ」や「不思議の国のアリス」など、
有名な文学作品の舞台となった場所に簡単に行ける
・博物館には入場料無料で入れる
・ユーロスター(鉄道)で気軽にフランスやベルギーなどに旅行に行ける
〇イギリス留学のデメリット
・物価が高い
・日本人コミュニティーで変な安心感を持ってしまう
🔴ブルガリア留学のメリット
・物価が安い
・ブルガリア語を学べる
・日本人同士の絆が固い
・LCCやバスを使ってヨーロッパ中を安価で旅行できる
・言語だけでなく、法律や政治など様々なことを勉強している学生と友達になれる
・地名そののものが「学生の街」と呼ばれるエリアがある。
直径5kmくらいのそのエリアには、学生用に建てられたアパートや
格安のスーパーマーケット、ナイトクラブやバー・カフェがたくさんある。
🔴ブルガリア留学のデメリット
・インフラ整備がまだまだ。コンクリが割れた歩道や、道路がたくさんある。
また、お湯もよく出なくなる。
・公共の場では基本的にはブルガリア語での対応になる
・大学教授でさえ完璧に英語が話せる人はほとんどいない。
・ブルガリア人は時間を守らない・仕事がゆるい
・授業はALL ENGLISHではない
※いくつかメリット・デメリットを上げたが少し補足説明をしたいので、
補足をしたい項目についてはオレンジで色を付けた。
★日本人コミュニティーで変な安心感を持ってしまう
これはどいういうことか。
留学して間もないころというのは、日本語を話せる環境にいると妙な安心感を覚えてしまう。イギリスには、留学生以外にもワーキングホリデーや仕事などで生活している日本人がうじゃうじゃいる。彼らには彼らのコミュニティーがあり、一緒に食事をしたり、旅行したりするようになる。だが、本来の留学の目的を考えたときに果たしてそれがいい判断であろうか。周りを見るといろんな国から留学に来た学生がたくさんいる。ホームステイなどで友達を作る機会がなければ自分で作ればい。"MEETUP"や”COUCH SURFING”(先日紹介したので内容は割愛)などネットを使えばいくらでもきっかけなんて作れる。
★日本人同士の絆が固い
今度は逆に日本人同士の絆の話である。
どっぷりとした安心感は持つべきではないが、多少は必要になってくる。
安心感で終わらず、そのコミュニティーがお互いを高め合えるものであればいいだけの話なのだ。ブルガリアには日本人は極めて少ない。そのため出会う日本人は、ブルガリアや日本にとって非常に価値がある人だったりする。
ブルガリアの学生に日本語を教えている方や領事館関係の仕事をしている方など幅広く知り合うことができた。それによって、ブルガリア人の日本語学習者との関係を構築できたり、領事館で働くとはどういうことかということも知ることができた。
日本人が少ないからこそ、出会う日本人同士の絆は非常に固かった。
★公共の場では基本的にはブルガリア語での対応になる
最初の数か月はこれは私にとって非常に大きな問題であった。
大学の事務も、郵便局での手続き、寮の管理人みんな英語が話せない。
ストレスにはなるが、こういったとき、近くの誰かが助けてくれる。
感謝である。
★ブルガリア人は時間を守らない・仕事がゆるい
イギリスでは特に気にならなかったが、ブルガリア人は仕事がゆるい。時間も守らない(人が多い)。大学の留学生に関する事務があるのだが、各手続をしてもらうのに、この日までにすると言っておきながら、「忙しいから」「来週まで待って」「日曜日があったから」など言い訳ばっかり。挙句の果てには同じブルガリア人もあきれている。
★授業はALL ENGLISHではない
私はソフィア大学の教育学部に在籍していたのだが、ほかの留学生も少ないということでブルガリア人の学生に混ざって授業に参加していた。そのため、授業は基本的にはブルガリア語。どうしたかというと、隣に座っていた英語ができるブルガリア人の友人に英語に訳してもらっていた。ただし、経済学部など人気の学部になれば、留学生の人数も多いので、留学生だけを集め授業が行われていた。
とまあ補足はこんな感じである。
【総括】
きれいな英語を学びたいのであれば、
ロンドンへ行け。
でも甘えるな。
留学なんて自分次第。都会に行けば甘~い誘惑はたくさんある。
それらを跳ねのけて濃い一日一日を過ごせば必ず身になる。
ロンドンやアメリカに留学したからと言って絶対英語が話せるようになるわけではないし、成功した奴はみな留学先で努力している。
楽しそうな日本人コミュニティーがある。
毎晩のように女の子とナイトクラブに行って明け方まで過ごす。
日本人だけではなく、ちゃらんぽらんしているのはどの国にも必ずいる。
付き合う人を見極め、留学を充実させよう。
お金に余裕がない?
じゃあ東欧の大学を選べ。
そして大きな目標を持とう
ブルガリアをはじめ、ハンガリーやチェコなどは日本に比べかなり物価が安い。
しかも、大学が提携を結んでいると、返さなくても良い奨学金が出たりして金銭的な負担はほとんどないような状態になる。
言語が英語ではないのはあまり気にしなくても大丈夫。
学生同士のやり取りは英語で行われる。
きれいなアクセントなどは極めることはできないが、「伝える」という面において
かなり英語は上達できる。
そして、ぜひ「英語を学ぶ」以外の目標を掲げてほしい。
英語を上達させることなんか目標にしなくても友達同士のやりとりで欠かせないものになるのだから、上達するのはそもそも当たり前なのである。
そのため、東欧の留学に関しては、「英語の語学力向上」より一歩進んだとこから目標を定めてみてほしい。「ヨーロッパの教育学を学ぶ」などなんでも良い。
結局、どこの国に行くにしろ、大切なのは自分のモチベーション。
ただ、その国じゃないとできることできないことがあるからそれは事前に確認が必要である。
と、いうことで、学生の皆さん、
良い留学生活を!!!
イタリア―ドイツの飛行機が片道2000円?!憧れのヨーロッパをLCCや高速バスでお得に周遊!学生旅行や卒業旅行はこれで決まり!
時間はあるが金はない。
…そう、それが学生である。
夏休みや卒業前に1か月くらいかけてどうせなら安く旅をしたい。
と思って、まず行くところはどこか。
そう、旅行会社。
旅行のプロが、あなたのニーズに合わせていろいろなプランを提案してくれる。
だが、今回強く言いたいことは、
ヨーロッパ周遊に日本の旅行会社は使うな
ということだ。
例えば、1番安いプランで航空券を手配してもらおうとすれば、
確かに、その旅行会社が取り扱える航空会社のなかで一番安いものを提案してくれるだろう。
だが、
重要なのは、旅行会社は取り扱える航空会社しか販売しないということ。
当たり前のことである。
私たちが把握できていない航空会社なんて世界にはたくさん存在する。
ヨーロッパも同じで、格安航空、いわゆるLCCもたくさんある。
取り扱いのないヨーロッパのLCCを使ってみれば、おそらく何倍も旅行会社で手配するよりも安くなるはずだ。
また、海外発着の航空券となると、手数料を普段より高くとる旅行会社も多い。
そこで自分で利用する航空会社のHPから手配するのだ。
今回の記事は特に学生必見。
激安のヨーロッパの旅行の仕方を紹介しよう。
日本発着の航空券は適当にとるとして、
ヨーロッパ内の移動にどの航空会社を使うか。
おすすめを紹介する。
WIZZ AIR
である。
ヨーロッパ、とくにハンガリーの航空会社だけあって東欧のルートが多い。
https://wizzair.com/en-gb/flights/map#/
例えば、ロンドンからワルシャワ(ポーランド)やドイツからイタリアなんて日によっては片道2000円ほどだったりなんてことはたくさんある。
私は、ブルガリアで1年過ごしたことがあり、海外に行くときはほとんどこのWIZZ AIRを利用した。機材はごく普通のLCCだ。座席は狭く、機内食などのサービスはない。だが、その分安いので必要ない。
購入方法も簡単で、WIZZ AIRのサイトでメンバー登録して希望の日で予約して、カード決済。
学生旅行や卒業旅行を検討されているのならぜひ利用してみてほしい。
また、お得なのは飛行機だけではない。
MEGA BUS
黄色い服を着た車掌さんがトレードマーク。
ヨーロッパは下のリンクから↓
https://www.flixbus.com/megabus
イギリスはMEGABUSのままで、ヨーロッパは今はFLiXBUSという名前に変わっている。(EU離脱の影響かな?)
これはLCCならぬ、LCB(Low Cost Bus)とでもいえようか。
格安の高速バスである。
ヨーロッパの移動、飛行機で移動するには近すぎるしというときにお勧め。
私は、スコットランドを旅した時に使ったが、
なんと1ポンドだった。
50kmくらいの道のりを、日本の市内バスと同じくらいの料金で移動することができた。
バスの質も高く、二階建てだし、席も広い、しかも充電用のコンセントもついている。
WIZZ AIRとMEGA BUS。
この二つをご紹介した。
ヨーロッパの学生はどうやってヨーロッパを旅するか。
お金のない学生がルフトハンザやブリティッシュエアウェイズなどの
大きな航空会社を使うのか?ユーロスターを使うのか?
だが何も知らない日本人はそれが1番最適な方法として使ってしまう。
バカ高いお金をかけて。
違う。
ヨーロッパの学生も旅のツールとして、
WIZZ AIR やMEGA BUSを使う。
要は日本人が国内を安く移動するとなったとき使う夜行バスのような感覚だ。
日本人は夜行バスを手配する際、日本語サイトから直接予約をするが外国人は夜行バスの存在や手配方法などほとんど知らない。
知っているのと知らないのでは大きく費用の面で変わってくる。
ぜひ皆さんの旅に役立ててほしい。
では。
東南アジア紀行④ タリンチャン水上マーケットへ!謎の魚の大群に圧倒!!
ラオスとタイの国境沿いまでは、小さなヴァンで向かい、
その後は豪華な寝台バスでバンコクへ。
タイは東南アジア旅の最終地点。
バスはバンコクの早朝に到着。ここから2泊して大阪に帰る予定だ。
タイにはバックパッカーの聖地といわれる通りがある。
そこがカオサン通りである。
お土産屋、マッサージ店、衣服、屋台などなんでも安くそろう。
しかも、ゲストハウスやホステルなど格安宿も多くあるためバックパッカーにとってみれば聖地である。
宿はカオサン通りで手配。
宿もこの通り沿いで予約した。
旅も終盤に差し掛かり、疲れていたのであまり観光する気になれず、有名どころのみ行くことにした。
ワット・ポーも
王宮も
中国人だらけ。
興ざめした。
いろんなところでカメラをパシャパシャとっている。
そこでローカルな場所に行きたくなった。
庶民的な場所。
少し調べてバンコクの西にタリンチャンというところに水上マーケットがあるとのこと。
中心地よりも少し離れていたため、まだ観光客は少ないだろうと思った。
バイクタクシーで40分くらいかけて向かった。
ここがマーケットの入り口。この奥に船着場がある。
ただ、欧米人や中国人よりも日本人が多く来ていたように見受けられた。
定期的にボートが出ており、いろんな水路を3時間かけて通り3か所の水上マーケットに連れて行ってくれる。
99バーツだった。(約300円)
料金もかなり庶民向け。かなり安い。
だが、ボートの上で何か買うということはほとんどなく、水路の傍に建てられたマーケットを巡るといったようなもの。
川というよりは、水路をモーター付きのボートで進ような感じ。
こんな感じでタリンチャンにはたくさんの小さな水路がたくさんある。
赤丸がおおよそのボートでマーケットを巡る範囲。
直径6kmくらいだろうか。
タリンチャン水上マーケットを合わせて4つくらいのマーケットを回る。
覚えているところで言えば西のクロンラットマヨム水上マーケット。
正直どのマーケットも同じような感じ。
マーケットに着くと30分くらいの自由時間が与えられる。
途中、バカでかいトカゲも発見。
でかい。
水路には、生活用水や残飯が捨てられ、魚の栄養源となるのか、ナマズみたいな魚がうじゃうじゃいる。
マーケットから水路にパンを投げ入れようものなら、何十匹という魚が荒れ狂う。
おぞましい
3時間で約300円のボートクルーズなので最強のコスパである。
ボートの隣に座っていたのはタイ人の観光客だった。
クルーズ中、竹の中でもち米を蒸した食べ物を屋台のおっちゃんが勧めてきた。
タイ語もわからずなんじゃこりゃといったような感じで見てみると隣のタイ人が奢ってくれ、食べ方も教えてくれた。
さすが微笑みの国である。
夜は、タイの風俗街であるパッポン通りをバイクタクシーで駆け抜けた。
実際に歩いたりもした。
そこで思ったが、
観光客の9割が日本人だった。
挙句の果てには、日本人のキャッチにも纏わりつかれた。
日本の居酒屋やスナックもあるし、もう日本と何一つ変わらない。
なんか変なカルチャーショックを覚えた。
駐在員なんかには最高の街かもしれない
宿への帰り道、ナイトマーケットにも立ち寄った。
翌日の朝、大阪に帰ったが、なんかタイの魅力を存分に味わうことなく、タイを後にするようになった。
これまでの旅で疲れ果て、多少タイは惰性で終わった感がある。
東南アジア旅行を振り返ると、
とにかく人や車・バイクの多さと物価の安さに驚かされた。
日本人や外国人限らず様々な人との出会いもあった。
国と国との移動には陸路移動だとかなり費用を節約できるが、
時間を節約したければ飛行機を使うべきだと思った。
東南アジア。顔はみんな同じように見えるが性格は全然違う。
それぞれいろんな歴史や文化をもっていた。
これにて東南アジア紀行は終了である。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次はどの国へいこうか。
東南アジア紀行③ メコン川に浮かぶラオスの楽園へ!川イルカに"HAPPY"とは?!「4000の島々」のあなたに合った島の選び方教えます!
どーも。
この東南アジア紀行もいよいよ折り返し地点までやってきた。
関空からベトナムはホーチミンへ飛び、2泊、さらにカンボジアはシェムリアップで2泊を過ごした。
バスか飛行機か移動方法についてぎりぎりまで迷ったが、移動時間を考えると結局空路で移動することにした。
前日にネットで購入したため、少々割高で片道10,000円だった。
シェムリアップの空港からラオスの南にある小さな街パクセに降り立った。
この東南アジア紀行、一番の目的はシーパンドンと呼ばれる秘境リゾートへ行くことだったため、その目的地までの移動を考えるとパクセに向かうのが一番良かった。
最初に説明しておくが、このシーンパンドンと呼ばれる地域は、
ラオスの言葉で「4000の島々」という意味がある。
その名の通り、メコン川に浮かぶたくさんの小さな島々のエリアのことである。
小さな島がたくさんある中でも、2つの島が主な観光地となっている。
それが、「コーン島」と「デット島」である。
有名なのが、川イルカとソンファミットの滝だ。後ほど紹介する。
※今回はシーパンドンがこの旅の目的ということもあり、
かなり気合を入れて書いたので心して読んでほしい。
パクセ国際空港に到着。
「国際」とつけていいのか疑問に感じるくらい小さい。
辺りは殺風景で何もない。
空港は誰一人いない。
僕と一緒に降りた人たちは皆どこかへ行ってしまった。
15分くらい空港前の道路で待っていると、軽トラックのタクシーが通りかかったのでホテルまで送ってもらった。
パクセの宿だが、booking.comで調べた限り、非常に数が少なかった。
そのため、1泊あたりの料金が2000円くらいと少々割高にはなったが、
ヴィラタイプのホテルを予約した。
予約したホテルの場所も正確ではなかったので探すのに少し苦労した。
しかし、
市街を歩いてみるとゲストハウスがまあたくさんあるではないか!
繁忙期というわけでもないので空きもたくさんありそう。
そこで一応agodaで見てみるといくつかゲストハウスがあったため、この街の住人はbooking.comを使っていないのだと思う。
そこで、パクセの宿選びについてまとめた。
【パクセの宿はこう選べ‼‼】
シーパンドンに行くための玄関口となるのがこのパクセ。
だが、booking.comやagodaなどのネットには宿はほとんど出ていない。
・現地で自分の目で見て決める!
この方法しかない。
ダウンタウンと呼ばれる場所は赤丸のあたり。
空港からタクシーで5分くらいのところにある。
特に橋を渡ってからは、大通りに何件もゲストハウスやホテルが並んでいるから、
予約がいっぱいで当日泊まれないなんてことはほとんどないと思う。
何件か自分の足で訪ねてみて、値段とサービスを比較してみよう。
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ただ、このパクセ、
観光地と呼べる場所がほとんどない。
この場所に訪れる旅人は皆シーパンドンへ行くための街としてこの場所を利用する。
なぜならホテルやゲストハウスでシーパンドンへ行くためのバスが手配できる。
宿の前に下の写真のように看板を出している。
ちなみに、こちらのバスだとデット島は約900円、コーン島は約950円。
シーパンドンまでのバスだが、デット島、コーン等ともに橋でつながれたところにあるので、船着場までのバスは同じだ。そこから小さなボートに行先ごとに分かれる。
※ちなみに、そこの宿に宿泊していなくても、バスなどの手配はしてもらえる。
この街には特に目立ったものはないので、翌日のシーパンドン行きのバスの予約。
まずは、船着場があるナーカサンまで2時間ちょっとかけて行く。
道中はなかなかのすし詰め状態で、悪路をヴァンがぽよんぽよん跳ねながら進む。
【コーン島?デット島?あなたにあった島の選び方!】
宿でいろいろ旅の行程を練っていた。
日帰りでシーパンドンへ行き、パクセに行くプランもあったが、
それは全くもっておすすめしない。
ゆっくりと流れる時間を堪能したいからだ。
リゾートとはそういうもので、帰る時間など気にしだしては負けだ。
主な宿泊は、コーン島かデット島のどちらかになる。
宿の従業員に相談すると選び方のポイントを教えてくれた。
〇デット島
・宿泊客がコーン島に比べ圧倒的に多い
・にぎやかなことが好きな若者向け
〇コーン島
・にぎやかな感じが苦手な人向け
・夜は静か
こんな感じ。
実際に二つの島に行ったが、このアドバイス通り。
僕はもちろんコーン島を選んだ。
ちなみに、ソンファミットの滝や川イルカはコーン島で見られる。
デット島からコーン島にかかる橋を渡るのに通行料がいくらかかかるので注意が必要だ。
なので、観光に関してはコーン島がおススメ。
詳しくは後ほどわかると思うが、騒ぎ狂いたい若者は断然デット島である。
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船着場までの道中
ボートに乗り換える
コーン島とデット島が見えてくる
コーン島到着!
船着場でボートを待っていた人で、
7:3くらいの割合でデット島とコーン島に行く人は分かれた。
たくさんいた船着場の人もボートに乗り込んだのは4人。
あとの多くはデット島に向かった。
だが、
この島。
すごくいい感じだった。
バイク文化が根付いているコーン島。
幼いころから動画のようにスパルタのトレーニングが始まる。↓
宿はパクセの教訓があったため、現地で実際に見て決めることに。
コーン島もたくさんのゲストハウスがある。
建物はすべてバンガロータイプだ。
別荘のような木の家を満喫できる。
島の人たちも皆あたたかい。
観光客価格というものがなく、お金お金とならないところが最高だ。
移動は自転車レンタルかバイクレンタルのどちらかになる。
どちらも安い。
僕は自転車をレンタルし島を探索。
川イルカは見れたけど、残念ながらカメラにおさめることができなかった。。。
疲れたら、
宿に戻ってハンモックで日向ぼっこ。
なんと最高なバカンスだろう。
夜はビーアラオやBBQ。
時がゆっくり流れていく。。。
2泊目はホテルを変え、違うバンガローへ。
コーン島でも長距離バスの予約ができるため、
タイ行きのバスの予約をした。
シーパンドン2日目は自転車をレンタルしデット島へ。
この島のほうがゲストハウスはたくさんある。
昨晩夜は大雨が降ったせいで、川はあれていた。
そして気になる表記がたくさん。
デット島のレストランやカフェの看板に掲げられた”HAPPY~”という表記。
そう、マリファナである。
ヨーロッパやロシアからこの島にやってきて、遊びつくす。
物価もかなり安いため格安で気持ちよくなることができる。
彼らはこの島を楽園と呼んでいる。
実際、ヨーロッパのいたるところからこの島に移住し、
今はカフェやバーを経営していたりする。
自由な島である。
夜は彼らはらりって遊ぶ。
そういった意味で、パクセのあの従業員はどちらの島にするかアドバイスをくれた。
コーン島で良かった。
宿に戻って、ハンモックで寝ていると、日本語なまりの英語が聞こえてきた。
宿泊しているホテルの値段交渉をしているようだった。
日本人かな~とか思いながら観察していた。
歳も若そうだったので声をかけてみるとやっぱり日本人。
彼は一人で東南アジアを旅しており、行く場所行く場所で釣りをして「大物」を狙っているというおもしろいやつだった。
つい先ほどコーン島に着いたと言う、大学1年の彼はさっそく釣りをしてみるというので同行させてもらうことに。
僕も釣竿をかり、海外で釣りに初挑戦。
牛怖すぎ。🐮
たまに全速力で釣りをしている川に水浴びに来るので命がけである。
てな感じで楽園を2泊3日で満喫した。
シーパンドン。かなり好きだ。
人も自然も全部素晴らしい。
本当に来てよかった。
ありがとうシーパンドン
翌日は、ついに最終地点であるバンコク!
東南アジア紀行② アンコールワット傍の池で地元民とまさかの飲み会?!ゲストハウススタッフとまさかの出会い
どーも。
東南アジア3日目である。
今回はカンボジア編。
カンボジア入国のためにはビザが必要になってくる。
事前にいろいろネットで調べていたのである程度把握していたが、
陸路での入国の際、わいろを渡さないとビザを発行してくれないということ。
バスに乗り込むと、ドライバーの補助みたいな男が慣れたふるまいで観光客からお金を徴収し始めた。
ビザ申請の際、自分の証明写真を持っていれば申請費用は払わなくていいというような記事を読んだが全くのガセであった。
あらかじめ証明写真を用意していたが、無駄だった。
集金男に写真を持ってるから払わなくていいだろと言っても全く聞き入れてもらえず。。。
あえなく、みんなは払った30$を同じように支払った。
長時間のバス移動である。
午前出発でアンコールワットにあるシェムリアップに着いたのは23:00過ぎごろだったため、15時間くらいはかかったと思う。
国境越えはすんなり手続きが終わり、カンボジアのサービスエリア的なところへ休憩のために立ち寄った。
レストランに入り、WI-FIも通っていたため、パスワードを教えてくれと店のスタッフに伺うと無視された。
単純に忙しくて聞こえていないだけだと思って何回か声をかけても無反応。
しつこく聞いたら、教えないよと軽くあしらわれた。
なんと冷たい国だと思った。
これまでいろんな国を回ってきたが、教えないよと言われたのは初めてだった。
ホーチミンの人たちの人当たりが非常に良かっただけにショックも大きかった。
悪路に揺られ、半分車酔いしながらも乗り継ぎ先のプノンペンまでたどり着いた。
乗車率6割程度だった客のほとんどは、プノンペンが目的地だったようで、
乗り換えてその日にシェムリアップまで行く人はほとんどいなかった。
バス乗り換えのバスを待つ間、同じバスに乗っていた同じくバックパッカーのユラと話した。
ウクライナでコンピューター関連の仕事をしており、
今はバカンスで東南アジアを旅しているという、30代後半くらいのお兄さんといったような感じ。
ホーチミンからのバスでシェムリアップまで行く人はどうやら僕とユラの2人だけだったみたいだった。
プノンペンからシェムリアップまでのバスも2人以外はどう見ても地元民だった。
ユラは宗教とか神様に興味があるみたいで、
アウラとは何かとか、人にいいことをしたら自分にも帰ってくる考えなんかを熱意を込めて語ってきたが、あまり興味がなかった。
シェムリアップの街に近づくと、バイクタクシーのおっさんたちがまだ走行中のバスに並走してきた。ほかのドライバーより早く客をとってやると言わんばかりに、ジンベイザメに張り付くコバンザメのようについてきた。
到着後、バスを降りるとプロモーションの嵐。(笑)
俺はこんなプランをもってるぞとか、〇〇$で案内するぞとかとにかく忙しかった。
何が一番いやかというと、説明を受けている間は突っ立っているので蚊に刺されまくったということだ。
ただ、周りは真っ暗だし、土地勘もないので、一人のドライバーの話を聞き、その日はそれぞれの宿まで送ってもらうことになった。
もともと一緒に行動するつもりはなかったが2人でバイクタクシーを使うと安くなるので2人で使った。運転中はドライバーはもう翌日の話をしてきたアンコールの遺跡をまわって〇〇$だと。。
僕は非常にこのドライバーを疑っていた。
どうせ、最初安い値段で吹っかけておいて最後の請求の時にバカみたいな金額要求してくるだろうと。
僕は心からお断りしたかったが、ユラは信じようといった。
ユ「俺にはわかる。彼は良いやつだ。」
てなことで、1日2人で30$でこのドライバーを雇うことになった。
気づいたらいつの間にかユラと一緒に行動することに。。
僕「I'm suspecting him. He would cheat us.....」
ユ「Don't worry. I know he's good guy.」
二人での行動はどちらか一方が妥協しなければいけないことはたくさんあるのだ。
てなことで、運ちゃんは翌日も宿に迎えに来てくれることになった。
部屋に入ってくる大量の蚊と格闘しながら寝れない時間が続いたが、
1000円以下のきれいなゲストハウスに泊まった。
到着した日は真っ暗で見えなかったが、こちらの宿は
きれいな金色のWAT KAESARAMというお寺の敷地を抜けたところにこじんまりと立っている。立地的にも夜は騒がしくない場所にあるのでお勧めだ。
バイクタクシーの運転手(運ちゃん)を待っている間、
受付で働いている青年と仲良くなった。
サービスエリアでの冷める体験があったから、どうかなと思っていたが彼は本当に話も合うし良いやつだった。ここは絶対行ったほうがいいという観光地だったりシェムリアップの人間はプノンペンの人間に比べてお人よしが多いということであったり。。
僕は彼を
夜食事に誘った。
僕「お勧めのレストランはあるか?一緒に行こう!!」
彼は快く賛成してくれた。
「俺のバイクでおすすめのスポットに連れて行ってあげるよ!!!」
そこで、僕はカンボジア人について勘違いをしていたことに気づいた。
カンボジア人はみんな冷たくて、お金を持ってそうなアジア人を見ると
すぐにどうやってそいつらからお金を巻き上げてやろうかと企むやつばかりだと思っていたが、彼の一言でその間違った考えに気づけた。
ありがとう。
※いろいろあって、彼の名前は「明」と呼ぶことにする。
夜19:00に明と宿泊したゲストハウスで待ち合わせをしたところで運ちゃんが迎えに来た。
運ちゃんは約束の時間に迎えに来た。上の写真は丁度寺の敷地内を通過しているところ。
ユラを乗せ、アンコールの遺跡群のある場所へ向かうが、その前にパスが必要になってくる。そのパスを取得するため専用の受付に行く。
取得方法など全部運ちゃんが教えてくれた。
「こいつ、いいやつかも」
アンコール遺跡群の敷地は非常に広い。
しかも、常に常夏状態なので、油断しているとすぐ熱中症になってしまう。
建物の中に入ると、パスの申請者で溢れかえっているが、日本の団体客ばかり。
写真を撮られ、高い金を払いパスをゲット。
いよいよ、定番アンコールワット。
遺跡と遺跡の間はそれぞれかなり離れている。
バイクタクシーの利用は必須だ。
遺跡観光中、運ちゃんはずっと僕たちの帰りを待ってくれている状態。
バイクタクシーから器用にハンモックを取り出してすやすや寝ている。
遺跡の周りは商店が出ていたり、ジュースを売っていたり。
遺跡周りには観光客からお金を巻き上げるべく様々なお店がある。
お土産類なんかは、「定価」という概念が崩壊していて、
値段交渉がマストになる。
Tシャツも最初は7ドルだったものが1ドルくらいまでなることなんかザラにある。
東南アジアの商売人は騙し合いで生計を立てている。
ただ、これは「文化」なので悪いとは思わない。
が、
小さな子供たちももちろんこの文化の影響を受ける。
甘いマスクでお土産のマグネットを買ってくれと迫ってくる。
子「自分は貧乏なんです、わたしみたいな恵まれないいたいけなこどものために一つ買ってください」と目で訴えかけてくる。
カメラを向けると舌をだして営業スマイル。
買わない客だとわかった瞬間、見えないところでののしってくる。
こいつら全然かわいくねえ。
4つほど遺跡を周ると15:00くらいになった。
夕日を見るのにお勧めの場所があるということで、夕日の時間にその場所に連れて行ってくれるとのことで一度宿に帰ることに。
カンボジアで夕日といえば、アンコールワットへの日没だが、運ちゃん曰くそうではないらしい。
とりあえず、同じ宿に戻った。
砂埃や湿気がひどく、足元はドロドロになっていた。
明はまだ働いていて、僕は既にチェックアウトしているのにも関わらず、シャワーを無料で使わせてくれた。
少しするるとまた運ちゃんが迎えに来てくれた。
40分くらい、2人を乗せたトゥクトゥクは走った。
到着したのは、シェムリアップの南にあるトレンサップ湖という湖であった。
運ちゃんは、ここのボートクルーズでの夕日がきれいとのことで僕たちを連れてきてくれた。
ボートは僕とユラのみ。
景色は最高だった。
最高な時間を過ごし、また宿に戻る。
明との待ち合わせのために。
彼は約束通り、バイクでやってきて友達のところに連れていくと言い出し、
僕を後ろに乗せ走り出した。
街灯もない真っ暗なところを走っていると思えば、気付いたらアンコールワットの池のほとりだった。
彼の友達何人かがシートを引いて、食べ物やお酒を持ち寄ってパーティーをしているではないか。
それに私も参加させてもらった。
月夜に照らされ不気味に見えるアンコールワットを横目にパーティーは行われた。
もう日本人もカンボジア人も見分けがつかない。
白シャツの青年が明。
彼には隠していたことがあり、僕に教えてくれた。
「ハジメマシテ、ボクハニホンゴヲベンキョウシテイマシタ」
なにぃ~~~~~
これまで、英語で会話を行っていたのだが、彼は高校生の時に日本語を専攻し、
日本語が話せるのだ。
しかも、
今集まっている友達もみな日本語専攻だったという。
驚きの連続である。
異国の地カンボジアでこんな素敵な出会いがあるなんて。
しかも、食べ物やお酒までいただいてしまって、、、申し訳ない。。
「ジョルダンサン、オサケスキ?」
「酒?もちろん!」
「ジャアコレスゴクオサケニアウヨ」
ピントが合ってないが、酒の最高のつまみとして出されたものは、
バッタ。
バッタだった。
「アンガイオイシイカラタベテミテ」
いや、案外もくそもない、バッタには変わりはない。
「ああ、いけるやん!ありがとう!!」
とは言ったものの、味のない何かの素揚げをひたすら食べているようである。
みんなには言えなかったが、
決しておいしくはなかった。
ただ、彼らの優しさにただただ感動した。
明たちに比べて僕たち日本人は莫大なお金を持っていて、明たちは今もカツカツの生活をしているはずなのに、お酒と食べ物を僕は一銭も出す必要はないと言ってくれた。
しかも、アンコールワットから市内に帰ってくると友達が働いているバーにも連れて行ってくれ、そこでも酒を奢ってくれた。
ありがとう明、ありがとうカンボジア。
そして次の日私はラオスへ向かうのであった。
P.S.
明はFACEBOOKをやっており、そこでの名前が明だった。笑
また、運ちゃんだがラオスまでの飛行機での移動のため、空港まで行くのも彼が乗せて行ってくれた。
ユラは次の日にタイに行くということで別れた。
運ちゃんだが、僕たちが遺跡を観光している中、水を用意してくれたり、寄りたいところがあると言ったらそこまで連れて行ってくれたり、
非常に人間味のある人だった。
ユラは最初の言い値しか支払っていなかったが、運ちゃんと分かれる際、
少し多めにお金を支払った。
彼は今日もお客さんを乗せ働いている、
アンコールワットをかけまわりながら。
東南アジア紀行① ホーチミンからおさるさんのいる島へ!夜は地元女子大生と市内観光?!
最近旅をしていないので、過去の旅について記す。
今回は東南アジア。
全部を一つの記事にしようとすると量が半端なくなってしまうので何回かに分けて綴る。
今の会社に入社する直前、
Vanやバスで、または飛行機で東南アジアの4か国を巡った。
このパートではベトナム編
到着すると交通量がまあ大変。
上の写真はまだマシな方だ。
やばい時で濁流のように隙間のない原付の大群が押し寄せる。
ホーチミン到着後、空港を出てローカルバスに乗った。
そこで、北欧出身で現在英語の教師としてベトナムで働いている人と一緒になった。
男「よお」
「ベトナムはどうだ?」
僕「交通量にビビってるよ」
男「だろ。俺が初めて来たとき、現地の人にこう言われた。
―ベトナムは交通量は半端ないが決して重大な事故は起こらない。
なぜだと思う?」
僕「いやいや、待て待て。こんなにバイクたくさんで走る車両と車両の間もごくわずかなのに事故が起こらないなんておかしいよ」
男「俺は、重大な事故は起こらないと言ったんだ。
みんな交通量が多くて出したくてもスピードが出せない。だから、重大な事故は起こらない」
僕「なるほど。。。」
妙に納得した。
東南アジアは今回で初。
どんな非現実が待っているのかと期待しているときにこんなバイクによる大歓迎を受けるなんて。。。
道路を渡るのに慣れが必要である。
今回の東南アジアの旅では主な目的がある。
それは、ラオスの南、シーパンドンと呼ばれる秘境リゾートへ行くこと。
あとのベトナムなどは、立ち寄れればいいかなくらい。。
ラオスについてはまた後日。
そんな中で、ベトナムに関してはほとんど調べていない。
ホーチミンには2泊の予定だ。
大阪からホーチミンの飛行機でベトナムの地球の歩き方を読んだくらい。
ベトナムはフランスの植民地だった歴史もあり、
建物がところどころ欧風で、教会なんかもある。
到着後、軽ーく市内観光。
途中、ローカルな旅行会社に立ち寄り4、次の日の計画を練る。
いろんな旅行会社が出しているツアーで、モンキーアイランドというところを巡るツアーがあった。
料金もそんな高くなかったし、丸一日使うような内容だったので、何をするか決めてなかった僕には丁度良かった。
価格もローカル価格だったので翌日参加で予約した。
ゲストハウスは価格とレビューを見て決めた。
郊外からは少々離れていたが、1泊1000円ちょっとで、内装もかなりきれいだ。
1泊目はシゴーンホステルに泊まり、2泊目以降は考えてなかった。
1週間くらいかけて東南アジアを周遊できればokとしか考えてなかったので1週間後のタイ発日本行き飛行機さえ間に合えば大丈夫だった。
ただ、カンボジア行きのバスの時間を考えると2泊したほうがいいという結果に至った。
シゴーンホステルのチェックインの際に2泊できるかと聞いたが、あいにく満室で最初の1泊しか無理とのこと。そのため、このゲストハウスの3つ隣の建物もどうやらゲストハウスのようなのでそこに2泊目は宿泊することに決めた。
ベトナムのゲストハウスはきれいなところが多い。
地元の英語が話せるイケイケの若者が働いているので、困ったらアドバイスをくれる。
翌日。
モンキーアイランドの日である。
いい年した中年のおばちゃんがゲストハウスのロビーへ迎えに来る。
乗って乗ってと言われバイクの後ろに座らされ、大通りに止めてあるバスまで連行。
バイクの群衆をぐいぐいかき分けあっという間にバスにたどり着く。
さすがおばちゃん。
ホーチミンからバスで2時間くらいかけていく。
途中フェリーを挟む。
正確には、カンジオ島といわれる島がモンキーアイランドで、
マングローブの密林に囲まれたエリアとなる。
さるだけではなく、ボートクルーズや、ワニ釣り体験、ベトナム戦争時の様子を人形にして飾ってあったりと飽きの来ない場所である。
お猿さんたちは、観光客が、サングラスやお菓子なんかを持ってると我先にとくらいついてくる。飛びかかってくるので注意。(笑)
バスを降りる前にサングラスをとれって言われてるのに外さない。そういうやつは必ずさるたちの餌食になる。
わに。
このツアーでは途中シーフード市場やランチでリゾート地と呼ばれるところに向かう。
と、まあこんな感じで充実したツアーであった。
カンボジア行きのバスは翌日の早朝のため、夜はこれまた現地の旅行会社であった夜の市内観光に参加した。
実はその日の受付自体は申し込みの時点では終わっていて、その日は特別に参加させてもらった。ただ、その観光は通常の市内観光ではなく、現地の大学生がバイクで案内する、ベトナムらしいツアーであった。
泊まっているゲストハウスまで迎えに来てくれるということなので荷物を置きに宿に戻り、30分くらいすると可愛らしい女の子がこれまたバイクで迎えにきた。
これでは、どちらが観光客が分からない。(笑)
一応女の子が今回の添乗員さん。(笑)
迎えに来てくれ、せっかくから写真を撮ろうと言われ、撮った。
もちろん、あとで撮った写真を高額な金額で請求されるということはない(笑)
案内してくれるところはかなりローカルな場所ばかりで、
手作り感が伝わってくる。
お金のためだけにしているという感覚が伝わってこないので非常に好感が持てた。
しかも、プライベート案内なので自分のペースで見ることができる。
途中、5歳くらいの男の子が手際よく生春巻きを作っていた。
僕も作ってみるかといわれたため、挑戦。
ぐだぐだであった。
ただ味はこれまで食べてきたベトナム料理の何100倍もうまかった。
初めて食べたベトナム料理は大量の雑草みたいな葉っぱとゲロ味のスープだったので正直期待はしていなかったがこいつは違った。
ありがとう少年。
ツアーは続く。
次に向かうはカンボジア人街。
広場を囲うようにアパートが建てられている。
この写真、プリズンブレイクに出てくる監獄みたいだ。。。
アパートはかなりボロボロである。
広場の中心ではおさるのショーをやっていた。
…もうさるはこりごりだった。
お土産屋さんが立ち並ぶ通りに着くとあたりをぶらぶら歩いた。
途中日本では見たことないフルーツを売っているおっちゃんがいた。
添乗員は「わたしこれすきなのー!!」とテンション高めで僕の分も買ってくれた。
...クソまずかったが優しさに応えるべくこっそり捨てた。
あとは、添乗員の大学の友達に会ったりした。
行くとこ行くと僕に奢ってくれる。
ツアー代金で十分賄えるのだろうが、優しさに感動した。
写真のお好み焼きみたいな食べ物も、変なフルーツ、生春巻きも値段にすれば30円もしないだろう。
だが、利益や見返りを匂わせないふるまいが素晴らしかった。
夜のツアーは感動しっぱなしだった。
向かった場所の名前や添乗員の名前、食べた料理の名前すらほとんど正直覚えていない。
ただ、ベトナムを好きになった感覚だけはずっと覚えている。
ベトナム最高。
次回はカンボジア編。
p.s.
実はもう一つベトナム人に感動したことがある。
こちら。
バイクの上で器用に寝すぎ。