ヒッチハイクでブルガリア横断した話 (読みきり)
▮JOURNY IN THIS TIME
ブルガリアへ留学中、2月ほどある夏休みの間にドイツ人のパトリックという友達とヒッチハイクでブルガリアを横断する旅をした。
僕にとってそれまでヒッチハイクなんて日本でも行ったことがなかった。
今回はパトリックとともにヒッチハイクでブルガリアを横断する旅のお話である。
その旅は僕の考え方や価値観を一気に変えてしまった旅となる。
これまでの旅で一番印象的な旅である。
▮2015年06月初旬 旅のきっかけ
留学先のソフィア大学が夏休みに入った。
次のセメスターが始まるまで2か月ほどあるため、日本の大学よりもはるかに多い休みとなる。
当時僕は海外の留学生が集まるドミトリーで生活をしていた。
ほとんどの留学生は半期しかいない。丁度、夏のセメスターから冬のセメスターに代わる夏休みはドミトリー内の留学生たちがほとんど総入れ替えとなる。
僕は、ソフィア大学に1年間留学するため、夏のセメスターで出会った学生を見送り、
新しく来る学生を迎え入れる立場にあった。
そんな中、夏のセメスターで知り合ったドイツ人のパトリックが一人でブルガリアを旅する計画を練っているのを知った。
彼とは夜ほかの仲間たちとよく飲みに行ったり、サッカー観戦や実際に一緒にサッカーをする仲であった。
世界の政治、貧困、経済に関して学んでいたこともあり
「そんなことも知らないのか」とよくいろんなことでからかわれていた。
そんなパトリックがブルガリア横断旅に僕を誘ってくれた。
パトリックも夏のセメスターで留学が終わるため、夏休みの間に東アジアを旅をして、母国のドイツへ帰るという。
パ「ブルガリアのUFOって呼ばれている場所を知っているか?」
パ「そこまで行こうとしている。一緒に行こう。」
UFOと聞いて頭が「?」となった。
僕「どこにあるの?何それ」
写真を見せてもらうと山のてっぺんに、本当にUFOみたいな建物があるではないか。
※かつてブルガリアが共産党時代に国力を示すものとして建てられた建物で、国際的な会議などが行われる場として使われたが今は正面入り口は閉ざされ、中は朽ち果て廃墟と化している。今回の旅では訪れてはいないが、別日に内部を探索しているのでまた違う記事にできたらと思っています。。
※今回の旅ではUFOには行ってません。画像・動画は別日に訪れたものです。
僕「すげー!いくわ!!(笑)」
だが、ヒッチハイクで行くと言っていたため、その日は断った。
ヒッチハイク=危ない
こういった固定観念が決断の邪魔をした。
パトリックから学べることはこれまでにもたくさんあった。
心のどこかで彼をリスペクトする自分がいたため、
ヒッチハイクに対して「怖さ」はあったが挑戦することにした。
パ「ヨーロッパでは普通だぞ。怖くない。交通費節約できるで。」
▮2016年06月初旬 旅の準備
出発に向け、意気込んでいる自分がいた。
パトリックと空いた時間に旅の計画を練る。
まずは行先と宿探し。
ブルガリアのリゾートと呼ばれる黒海に面した街ブルガスを目指し、
旅をすることにした。
実はほかに仲の良かったスペインと日本の友人3人がまだ大学のテストが残っていたため
夜行バスを使ってブルガスで落ち合うことにした。
ソフィアとブルガスはブルガリアの西と東。
距離で言えば400KMくらいだろうか
車で行けば5時間はかかる。
広島から京都くらいの距離だ。
僕たちは最終目的地をブルガスにして、途中ブルガリア中央のヴェリコ・タルノヴォから南に行ったところにある、UFOの建物、ブルガリア旧共産党ホールに行って、バルナに行き、ブルガスを目指すことにした。
旅費をとことん抑えるため、カウチサーフィンで宿を探そうとした。
※カウチサーフィンについて👇
UFOに行くには、シプカという小さな村があるのだが、
そこが一番近かったためホストを探したが見つからない。。。
タルノヴォやバルナ、ブルガスでも探したが、
旅行中は、すでにほかのゲストを迎えるか、用事があるとのことで宿が見つからなかったため、ゲストハウスを予約した。
次にどのルートで最終目的地であるブルガスを目指すか。
僕たちは本屋さんでブルガリアの地図を購入し、机の上に広げ検討した。
その時に教えてもらったのが「ヒッチWIKI」。
ヒッチハイクには欠かせないツールの一つで、別記事で詳しく記載してるので参考あれ。
どこからヒッチハイクを始めるか、どのルートでUFOを目指すか。
いろいろ考えながら計画を練る。
僕も何かできることがないか考えていた。
そうだ、ヒッチハイクといえばでっかい段ボール!!
車から見やすいようにでっかいのを拾おう!
ヒッチハイク=でっかい段ボール
ゴミ箱をあさってまさに上の絵みたいな大きな段ボールを見つけてパトリックのもとへもって行った。
びりびりっっっっっtttttttt......
パトリックは僕の段ボールを4分の1の大きさにした。
それに、かなり雑に。(笑)
パ「ヒッチハイカーを乗せようとするドライバーは、ヒッチハイカーを乗せたいから止まってくれる。行先を確認するのはそのあとだ。だから、小さくていい。邪魔だろ。」
僕「なるほど」
まあ、ドイツ人は合理的というかなんというか。。。
そして僕たちはヒッチハイク当日を迎える。
▮2016年06月18日 ヒッチ当日
・・・・あいにくの雨である。
僕たちはまずは、高速道路の入り口手前の開けた場所まで地下鉄とバスを乗り継ぎ向かった。
段ボールにはブルガリア語で「Казанлъ̀к(カザンラク)」と書き、車を待った。
実はこの町はバラで有名で年に1度のバラ祭りではバラの嬢王を決めるコンテストが開かれる。
さすがにシプカは小さな村になるので、少し離れたカザンラクから、
まずはUFOを目指す。
小雨の中、僕たちは15分交代でヒッチハイクをする。
パ「大切なのは笑顔だ」
そう助言してくれた。
段ボールは雨に濡れてふにゃふにゃである。
旅人自体少ないソフィア。
そう簡単には車は止まってくれない。
ましてや、こんな雨にさらされている若造二人を乗せてくれる人なんて現れるのだろうか。
15分が2回、3回と過ぎていった。
笑顔が大切といったパトリックは笑っていない。
・・・よく見たら笑っていた。(笑)
彼もまた僕と同じで、普段は無表情。
30分くらい待ってみて、一向に車が止まらなかったため、
行先を「Велико Търново(ヴェリコ・タルノヴォ)」に変えた。
ブルガリア第三の都市である。
この街は、琴欧州の故郷だ。
写真のサッカーボールはフランス人の友人フゴから受け継いだもので
暇なときはパトリックとサッカーをしようということで持って行った。
地味~に場所を変えながら試行錯誤を繰り返し、
やっと1台の車が止まった。
ドライバーは英語が話せない純粋なブルガリア人だった。
僕たちは一気にヴェリコ・タルノヴォまで行った。
▮第三の都市 ヴェリコ・タルノボ
タルノヴォの中心地で降ろしてもらい、まずはゲストハウスへ荷物を預けにいく。
この街の見所はおもむきある旧市街。
かなり特徴的なのは、
旧市街の中心にはアッセン王の大きな銅像があり、それを囲うようにヤントラ川が流れる。そしてさらに川の外側の山の斜面には旧市街の建物が連なる。
かつてはブルガリアの首都だったこ歴史もあるタルノボ。
街歩きはかなりおもしろい。
街のあちこちには落書きやオブジェがある。
「コミュニスト=テロリスト」
中には、ブルガリアの政治批判を訴える落書きも。
この気持ち悪い人形は「クケリ」といって、厄払いの神様である。
毎年行われる収穫祭でこのクケリの衣装をまとった人たちが街に繰り出す。
かなり不気味である。
夜のアッセン王。
地元の人のデートスポットになっているようだ。
夜は、パトリックに連れられビリヤードに挑戦。
人生初となるビリヤード。
たくさん楽しんだ後はゲストハウスの庭で晩酌。
翌日の計画を立てる。
このタルノボだが、実はこの旅の2週間後くらいにまた訪れることになる。
というのも、ソフィア大学が夏休みの間、だらだら長い休みを過ごすのも
無駄なので、タルノボ大学が主催するブルガリア語・文化セミナーに参加することになっていた。滞在期間は1ヶ月。タルノボ大学の寮に入る予定だった。
今回の旅はその下見となった。
スペインと日本の友人とブルガリアのリゾート、ブルガスで合流するまであと3日。
ブルガリアにはリゾートと呼ばれる街がもうひとつある。
バルナという街だ。
彼らと合流するまでにバルナを訪れておきたかったため、日程的な問題や、
ヒッチハイクでいける可能性が低いUFOの建物を訪れるのは止め、
そのままバルナを訪れることにした。
ゲストハウスには20才くらいのイタリア人カップルが宿泊していた。
ドミトリーの6人部屋に僕・パトリック・イタリア人カップルの4人が泊まっていた。
翌日。
▮2015年06月19日 ブルガリアのリゾート、バルナへ
朝は強い方だったので、誰よりも早く起きた。
気付いたら、イタリア人カップルは二階建てベットの1段目に2人で寝ていた。
その彼女は髪の毛を銀色に染めており顔も結構かわいかった。(笑)
そのままシャワーを浴びて、歯を磨き、部屋に戻った。
その彼女が真っ裸で立っていた。
僕「OOOOOOOOOOPS!!!!!!」
アイムソーリーと言って、2秒で開けたドアを閉めた。
彼女は丁度服を着替えていた。
女「It' OK. 気にしないで。」
と言って暖かく僕を迎え入れてくれた。
ゲストハウスはこういったハプニングがあるのでやめられない
こんなことを書いていては何のブログかわからなくなってしまうのでこのあたりでイタリア人のお話はお終い。
ゲストハウスのスタッフと話し、ヒッチハイクに丁度いい場所を教えてもらった。
赤丸部分。そこが丁度、タルノボの街を出てバルナ方面に行く車が通る場所だということだ。
橋の手前で僕たちは2度目のヒッチハイクをした。
15分の2セット目でいきなり車が止まってくれた。
今回乗せてくれたのはイケイケのタルノボ女子2人組。
彼女たちもバルナへ行くとのことなのでご一緒させてもらうことにした。
かなり荒い運転をしながらバルナを目指す。
お茶目なパトリック。
NO SHUMENSKO NO LIFE.
ソフィアに留学していた僕たちはシュメンという町のシュメンスコというビールをいつも飲んでいた。その町の標識に「NO」のサインが書かれていたので、そんな「シュメンスコのない生活ありえない」ということでぱしゃり。
バルナ到着。
肌寒くて泳ぎはしなかった。
夜は海沿いはクラブやバーが一斉に盛り上がる。
海外のリゾートといったところだ。
この街は2014年に津波が町を襲った。
13人の人々が亡くなった。
人々が不正に家を建てたり、排水システムの管理の怠惰からこのような被害を被った。
当時の状況を伝える写真展にも立ち寄った。
この町の落書きも、タルノヴォ同様アーティスティック。
黒海に面している町なのでカモメがいる。
夜はローカルなレストランを探した。
翌日は、世界遺産都市にもなっているネセバルという小さな黒海に面する町を目指すことにした。
翌日。
▮2015年06月20日 ネセバルからブルガスへ
場所的には丁度、バルナからブルガスに行く途中にある。
世界遺産にもなっているため、せっかくだし行ってみようかという感じで行ってみた。
今回も30分ほどで車に乗れた。
最初ヒッチハイクにビビッていた自分が情けない。
道中はロシアのロックンロールがガンガン流れていた。
黒海沿いは大小様々な都市や町がリゾートとして動いている。
その中でもバルナ、ブルガス、ネセバル、ソゾポル、アルベナは人気のリゾートだ。
ネセバルは世界遺産都市にもなっていて、町が小さな島のようになっている。
まああまり世界遺産には興味がない僕たちなので、
先を急ぐことにした。
4回目のヒッチハイク。
ついにブルガスを目指す。
今回は初日同様雨が降り出してしまった。
しかし、ドライバーが雨に打たれながらヒッチハイクしている僕たちを心配してくれ、ものの5分ほどで乗車。
人間みんな優しい。
ついにブルガス。
ここまでくるとどこのリゾートも同じに見えてくる。(笑)
翌日はついに寮の仲間と合流する。
その日は町を探索し、食費を節約するためスーパーで野菜を買い、
ゲストハウスで調理した。
▮WHAT MADE ME CHANGE
この旅で分かったことは、
パトリックはスマホを持っていない。
ケータイはPHSのような、通話しかできないようなケータイ。
僕が道中、スマホのGOOGLE MAPで確認しながら行きたいところまでのルートを見ていたら、「それ使わずに行こう」と言ってきた。
紙の地図があったためそれであちこち歩いた。
彼曰く、GOOGLE MAPやナビで目的地まで行くと、「目的地」までしか行けない。
目的地までは、スマホにとらわれ例え途中何か気になる場所、店があったとしても生気のルートではないから行かないだろう。紙媒体であれば、もし何か面白そうな道や店があったときふらっと立ち寄れる。ほとんど前を向いて歩くから、小さな変化にもすぐ気付くことができる。GOOGLE MAPは便利だが大切なことを忘れがちである。
また彼は極端に写真を撮りたがらない。
写真も、旅が写真を撮るための旅になってしまったら非常に心が貧しい。
本当に感動できる場面、美しい場所、圧倒されるシーンというのは
フィルムに収めなくても何年たっても記憶しているものだから。
彼のセオリーが妙に僕に刺さった。
僕の「何か」を変えた。
彼のルールでこの旅を楽しむことにした。
だから終盤はあまり写真がないのだ。
翌日僕たちは無事合流した。
リゾートを満喫した後、僕と日本人の友人Tとともに夜行バスでソフィアへ帰った。
スペイン人は東アジアをこのまま旅をするとのこと。
パトリックは、そのとき丁度パトリックの彼女がトルコのイスタンブールを旅行しているというので、ブルガスからイスタンブールまで一人でヒッチハイクで行くという。
ただ、国境を越えるので、さすがにヒッチハイクだとどうなるかわからないと心配していたが。。。
パトリック
彼は僕の留学中に、もっとも僕を変えた一人である。
▮おまけ
ソフィアに帰り、数日後、パトリックからメッセージが届いた。
僕たちがブルガリア横断中に撮った写真がほしいとのこと。
やっぱりもっと写真撮っとけば良かったと思っているのでは?と想像し
微笑ましくなった。
彼の口癖は
”JUST SPONTANEOUSLY” (ただやりたいと思えば)
飲みに誘ってくれるときも
イベントごとを開くときも
そして
ヒッチハイクやろうと言ってくれた時も
この言葉を使った。
本能のままに、やりたいことをやりたいと思ったときにやる。
彼と旅をして良かった。
ヨーロッパで一番標高の高い村へ行ってきた話② ―ジョージア(旧グルジア)トビリシ―
さてさて、
ディトとのジョージア旅だが、
首都トビリシを夜21:00くらいに出発。
小さなマイクロバスに満席状態で詰め込めれそこから
ヨーロッパ一標高の高い村ウシュグリを目指す。
トビリシのメインストリートを歩いてみても
ウシュグリ行きのツアーの代行手配しますよ見たいな看板はたくさんあったが
今回はディトが地元大学生が主催する格安のツアーに予約してくれた。
英語のツアーなどではないがディトがいてくれて話す人はいるし、
「日本人」という普段見慣れないやつがほかのジョージア人に混ざってツアーに参加していたためいろいろ話かけてくれる。
英語の能力は日本人とほぼ同じで、大学生でも簡単な英語をつなぎ合わせながら
会話していく。
僕の独断と偏見だが
ジョージア人女性はかわいい。
アジアの地とロシアの地が丁度いい感じの割合で混ざっていて
絶妙な美しさを持ち合わせている。
トビリシからウシュグリまでは10時間ほどかかる。
今回のツアーでは、途中メスティアという村を中継地点にし、1泊し翌日ウシュグリを目指す。
道中はオフロード。
常に道は凸凹しているしくねくね曲がる。
またジョージア人は大の酒好きである。
ジョージアの蒸留酒「チャチャ」を持ち寄って、バスの中でパーティーが始まる。
山道に入り、標高が高くなってくると石造りの10メートルくらいの塔がいくつも見えてくる。
小さな村が点々としており、一家に1つ、その塔は建てられる。
小さな村も探索しながら、7時間ほどかけてメスティアに到着。
ジョージアで有名なアルペニストなどの歴史展示博物館のようなところがあったり、
炭酸水が湧き出るポイントがあったりする。
牛や豚などの家禽動物たちがそこら中をのそのそ歩き、のんびりした村だ。
夜は参加者みんなが集まって、BBQ。
ディトがジョージア式のBBQを僕に見せてやると言っていた。
炭もコンロもないので、準備は本当に1から。
いい感じの石を拾い台を作る。
枯れ木をそこら中から集め、砕き、火にかけ炭を作る。
手作り木炭がそれぞれ空気を入れると真っ赤に光ってきたら
具材の投入である。
この1から作るというのがジョージア式だそうな。
ワインやチャチャで乾杯し記憶が飛ぶぎりぎりまで飲んだ。
BBQ後は主催者側のサプライズで、点燈上げが行われた。
コーカサス山脈の山々に囲まれた小さな村で
幻想的な夜を過ごした。
翌日。
メスティアから2時間かけてウシュグリへ。
道もどんどんひどくなり、何度もぬかるみにはまりそうになりながら進んだ。
メスティアからキャンプをしながらウシュグリまでトレッキングしている人も見かける。標高が高く、木々が辺りから見えなくなりしばらく走るとウシュグリに着く。
死ぬまでに見たい景色というのはこの景色のことである。
ディト曰く、小さな村々は、ジョージア語の方言も強いため
同じ国の人同士であっても会話できないだろうと言っていた。
ウシュグリからは、
晴れていればアイラマ山も一望できる。
博物館や教会もある。
何がいいってこの大自然。
同じ人間なのにここで暮らす人間は僕たちとは
1段階も2段階も次元が異なったところで生活を営んでいる。
トビリシへ帰った後、
4日目、5日目もディトは僕をいろいろなところへ連れて行ってくれた。
彼の趣味は「登山」
山に登るのが大好きである。
ヨーロッパで一番標高の高い村へ行ってきた話① ―ジョージア(旧グルジア)トビリシ―
ヨーロッパで標高が高い場所といえばどこを思い浮かべるだろう。
スイス?
実は丁度ヨーロッパとアジアのはざまにあるジョージア(旧グルジア)には、
ヨーロッパで一番高いと言われる村が存在する。
その名はウシュグリ。
ジョージアといえばアメリカのジョージア州を思い浮かべる人がほとんどだと思う。
日本人にはあまり知られていない国ジョージア。
僕も初めてジョージア人の友達ができたときは、彼の生まれを何度も聞き直した。
アメリカ?
ギリシャ?
どこ?????
だが、この国、非常に魅力に溢れた国なのだ。
ワイン発祥の国
黒海に面しており、リゾートも充実
物価はバカ安い
ヨーロッパ一標高の高い村がある
ジョージアは国の位置的にヨーロッパの国と呼べるのか怪しいところはある。
最近は、ずっと「グルジア」とロシア語読みで呼ばれていた名を「ジョージア」と英語読みに変えた。
ロシアとは仲が悪く、ロシアとの国境沿いではジョージア領なのにロシア軍がのっとっているエリアがあったりとか。
が、んなことはどうでもいい。
とにかくこの国は素晴らしい。
もともと、この国への旅を決めた理由は、
留学中、ジョージア人の友達ができてその国についていろいろ調べているときに
ある一つの記事を読んだから。
「ジョージアに行くべきでない35の理由」
35ものジョージアの魅力を皮肉めいて書いている。
丁度夏休みになりジョージア人の友達のディトが首都トビリシに帰るということで
一緒にお供させてもらうことにした。
ブルガリアからトルコまで夜行バスで8時間。
さらに、飛行機で首都トビリシへ。
空港を出た瞬間から英語はほとんど通じない。
ディトにガイドしてもらいながら街を案内してもらった。
僕と彼との仲が深まったきっかけとして僕の名前が「しょうた」だったからだ。
初めて彼と自己紹介をしたとき、
「しょうた」という名前に彼はものすごく反応した。
どうやら、「しょうた」という名前、ジョージアでは非常にポピュラーな男性の名前だからだ。
というのも、ジョージアで一番有名な詩人の名前が「ショータ・ラスタヴェリ」という方。
「ショータ」は銅像にもなっているし、その前の通りは「ショータ・ストリート」という感じで道の名前にもなっている。
てなわけで、ディトとは仲良くなった。
彼は僕にいろんなところを紹介してくれた。
あらゆるチェーン店がジョージア語で書かれている。
この国の文字はミミズみたいでどこか愛くるしい。
市街地は道路もかなり整備されていてきれい。
ジョージアは温泉の源泉もあり、下の写真の近くでは硫黄の匂いがする。
近代的な建物もある。
最近中国の資産家たちがお金を投資しまくって、どんどん新しい近代的な建物を建てまくっているらしい。。。
この看板。
よく見ると、いろんな宗教の建物が集まっている。
モスク、シナゴーク、大聖堂、教会・・・・・
さすがワイン発祥の国。
食事も奢ってもらった。
そこで出てきたものは
ジョージア式餃子とでもいえようか。
「ヒンカリ」という食べ物。
大きさはこぶしくらいの大きさで、袋を破ると肉汁がぶわ~っとあふれ出てくる。
美味。
ジョージアの朝飯といえば「アチャルリ」。
外側はカリッ、中はふわっとしたパン生地の真ん中に卵とたっぷりバターやチーズを入れて食べる。また、ひき肉を入れたアチャルリもある。
ジョージア飯。カロリーは高めだがうまい。
うまい飯にうまい酒。
これだけで満足である。
ジョージアの豆知識を一つ紹介すると、
ジョージアの警察は、安心しても大丈夫だと言われている。
この感覚がおそらくふつうは理解できないだろうが東ヨーロッパやアジアの国になると
警察がわいろを要求したりといったことはごく当たり前。
汚職だらけなのだ。
そんな中で、ジョージアの警察は超クリーン。
なぜなら、交番がすべてきれいなガラス張りの建物でできている。
汚職なんてしていませんよ
ということを示すアピールなのだ。
というのもかつては、ジョージアの警察も汚職だらけだったらしい。
そこで当時の大統領が汚職を防ぐために、交番をガラス張りにしたそうな。
夜になると夜景を見るべく、ムツミンダ公園という丘の上にある遊園地まで登っていく。丘の上にはレストランもありかなりロマンティック。
中央より少し右上にあるのはサメバ大聖堂。
一段と輝いている。
お昼のサメバ大聖堂。
てなことで、この日一日のジョージア旅は終わり。
明日からは、本題のウシュグリを目指す。
【留学先で迷う学生へ】イギリスとブルガリア2ヶ国を留学した私が伝授する自分に合った留学先の選び方とは
学生時代、英語の先生になることを夢見て2か国を留学した。
イギリスとブルガリアである。
ロンドンの語学学校に1か月、
ブルガリアの首都にあるソフィア大学の教育学部で1年間留学した。
どちらも、ヨーロッパの国ではあるが
生活水準は対照的である。
言語も文化も異なる。
そんな2ヵ国で留学を経験したからこそ、お伝えできることがある。
大学生活は4年間、金銭面的な問題もあり、1年間の留学なんて、ほとんどはできても4年間で1回のみになるだろう。
だから、留学先で
「あの国に留学しておけばよかった」
といったような後悔はしてほしくない。
「留学はしたいがどの国へ留学したらいいかわからない」
そんな悩める学生の助けになる記事になっている。(つもり)
ロンドンとソフィア。
留学先の方面としては、王道方面とマイナー方面。
なかなか好きでソフィアに留学しようとは思わない。
【生活】
ロンドンへ留学すれば、語学学校もたくさんあるし、日本人もたくさんいる。日本食レストランもたくさんあるので、日本食ロスにはならない。英語に関しては、生活の中で磨きをかけていける。ただ、難点は物価の高さである。市内のレストランに行けば必ず1500円は超える。
ブルガリアのソフィアの留学になると、まず言語がブルガリア語になる。EU加盟国ではあるがほんの20数年前までは、ブルガリア人の学校の第二言語はロシア語を勉強
していたため基本的に若者以外は英語が通じない。英語が話せたとしてもなまりはかなり強い。また、日本人は少ない。1年住んでみても、日本人観光客の集団やバックパッカーを見たことは一度しかない。日本人がいるとすれば、私みたいな留学生が数人と日本語を教える先生、あとは領事館関係で働く方々のみになる。食に関して言うと、日本食はかなり少ない。東ヨーロッパの日本食の流通自体がほとんどない。そのため、リアルな日本食レストランはほとんどない。低クオリティーなおすし屋さんはあるが到底行けたものではない。物価はかなり安い。何を買うにしろ、衣類を除けば日本の値段の約2分の1で買えるのでかなりぜいたくな暮らしができる。
とまあ、簡単に二つの特徴を述べた。留学する目的によっても、どの国を選ぶかは異なってくると思う。次に二つの国のメリットデメリットをまとめた。
【メリットとデメリット】
〇イギリス留学のメリット
・母国語は英語のため、言語能力は上達しやすい
・日本食に困らない
・地下鉄が発達しており市内の移動は大変便利
・プレミアリーグの試合を生で観戦できる
・「シャーロックホームズ」や「不思議の国のアリス」など、
有名な文学作品の舞台となった場所に簡単に行ける
・博物館には入場料無料で入れる
・ユーロスター(鉄道)で気軽にフランスやベルギーなどに旅行に行ける
〇イギリス留学のデメリット
・物価が高い
・日本人コミュニティーで変な安心感を持ってしまう
🔴ブルガリア留学のメリット
・物価が安い
・ブルガリア語を学べる
・日本人同士の絆が固い
・LCCやバスを使ってヨーロッパ中を安価で旅行できる
・言語だけでなく、法律や政治など様々なことを勉強している学生と友達になれる
・地名そののものが「学生の街」と呼ばれるエリアがある。
直径5kmくらいのそのエリアには、学生用に建てられたアパートや
格安のスーパーマーケット、ナイトクラブやバー・カフェがたくさんある。
🔴ブルガリア留学のデメリット
・インフラ整備がまだまだ。コンクリが割れた歩道や、道路がたくさんある。
また、お湯もよく出なくなる。
・公共の場では基本的にはブルガリア語での対応になる
・大学教授でさえ完璧に英語が話せる人はほとんどいない。
・ブルガリア人は時間を守らない・仕事がゆるい
・授業はALL ENGLISHではない
※いくつかメリット・デメリットを上げたが少し補足説明をしたいので、
補足をしたい項目についてはオレンジで色を付けた。
★日本人コミュニティーで変な安心感を持ってしまう
これはどいういうことか。
留学して間もないころというのは、日本語を話せる環境にいると妙な安心感を覚えてしまう。イギリスには、留学生以外にもワーキングホリデーや仕事などで生活している日本人がうじゃうじゃいる。彼らには彼らのコミュニティーがあり、一緒に食事をしたり、旅行したりするようになる。だが、本来の留学の目的を考えたときに果たしてそれがいい判断であろうか。周りを見るといろんな国から留学に来た学生がたくさんいる。ホームステイなどで友達を作る機会がなければ自分で作ればい。"MEETUP"や”COUCH SURFING”(先日紹介したので内容は割愛)などネットを使えばいくらでもきっかけなんて作れる。
★日本人同士の絆が固い
今度は逆に日本人同士の絆の話である。
どっぷりとした安心感は持つべきではないが、多少は必要になってくる。
安心感で終わらず、そのコミュニティーがお互いを高め合えるものであればいいだけの話なのだ。ブルガリアには日本人は極めて少ない。そのため出会う日本人は、ブルガリアや日本にとって非常に価値がある人だったりする。
ブルガリアの学生に日本語を教えている方や領事館関係の仕事をしている方など幅広く知り合うことができた。それによって、ブルガリア人の日本語学習者との関係を構築できたり、領事館で働くとはどういうことかということも知ることができた。
日本人が少ないからこそ、出会う日本人同士の絆は非常に固かった。
★公共の場では基本的にはブルガリア語での対応になる
最初の数か月はこれは私にとって非常に大きな問題であった。
大学の事務も、郵便局での手続き、寮の管理人みんな英語が話せない。
ストレスにはなるが、こういったとき、近くの誰かが助けてくれる。
感謝である。
★ブルガリア人は時間を守らない・仕事がゆるい
イギリスでは特に気にならなかったが、ブルガリア人は仕事がゆるい。時間も守らない(人が多い)。大学の留学生に関する事務があるのだが、各手続をしてもらうのに、この日までにすると言っておきながら、「忙しいから」「来週まで待って」「日曜日があったから」など言い訳ばっかり。挙句の果てには同じブルガリア人もあきれている。
★授業はALL ENGLISHではない
私はソフィア大学の教育学部に在籍していたのだが、ほかの留学生も少ないということでブルガリア人の学生に混ざって授業に参加していた。そのため、授業は基本的にはブルガリア語。どうしたかというと、隣に座っていた英語ができるブルガリア人の友人に英語に訳してもらっていた。ただし、経済学部など人気の学部になれば、留学生の人数も多いので、留学生だけを集め授業が行われていた。
とまあ補足はこんな感じである。
【総括】
きれいな英語を学びたいのであれば、
ロンドンへ行け。
でも甘えるな。
留学なんて自分次第。都会に行けば甘~い誘惑はたくさんある。
それらを跳ねのけて濃い一日一日を過ごせば必ず身になる。
ロンドンやアメリカに留学したからと言って絶対英語が話せるようになるわけではないし、成功した奴はみな留学先で努力している。
楽しそうな日本人コミュニティーがある。
毎晩のように女の子とナイトクラブに行って明け方まで過ごす。
日本人だけではなく、ちゃらんぽらんしているのはどの国にも必ずいる。
付き合う人を見極め、留学を充実させよう。
お金に余裕がない?
じゃあ東欧の大学を選べ。
そして大きな目標を持とう
ブルガリアをはじめ、ハンガリーやチェコなどは日本に比べかなり物価が安い。
しかも、大学が提携を結んでいると、返さなくても良い奨学金が出たりして金銭的な負担はほとんどないような状態になる。
言語が英語ではないのはあまり気にしなくても大丈夫。
学生同士のやり取りは英語で行われる。
きれいなアクセントなどは極めることはできないが、「伝える」という面において
かなり英語は上達できる。
そして、ぜひ「英語を学ぶ」以外の目標を掲げてほしい。
英語を上達させることなんか目標にしなくても友達同士のやりとりで欠かせないものになるのだから、上達するのはそもそも当たり前なのである。
そのため、東欧の留学に関しては、「英語の語学力向上」より一歩進んだとこから目標を定めてみてほしい。「ヨーロッパの教育学を学ぶ」などなんでも良い。
結局、どこの国に行くにしろ、大切なのは自分のモチベーション。
ただ、その国じゃないとできることできないことがあるからそれは事前に確認が必要である。
と、いうことで、学生の皆さん、
良い留学生活を!!!
目の前は北朝鮮!ソウルからDMZ(軍事境界線 非武装地帯)を旅した話と中国地方民のジレンマの話
ヨーロッパを中心にこれまでたくさんの国を旅してきた。
ただ、社会人になるまでは、本土から一番近い韓国へは一度も行ったことがなかった。
韓国であれば最悪1泊2日で行って帰ってこれる。
そこで、3日間の休みを使ってソウルを旅してきたので、
今回の記事はソウル旅である。
しかし、ソウルといえばフォトジェニック。
女の子受けするものが多いが、あまり興味がないので、
また違った視点からソウルを旅してきた。
【中国地方に住む人のジレンマ】
ソウルのことを書く前に中国地方に住む人のジレンマについて書く。
特に広島や岡山に住む人にとって韓国行きの飛行機がとても不便な時間しかない。
《エアソウル》 《大韓航空》
広島発 11:30 岡山発 10:40
ソウル着 13:10 ソウル着 12:25
ソウル発 09:10 ソウル発 08:05
広島着 10:30 岡山着 09:35
ひどいのはソウルの出発時間である。
朝早すぎなのだ。
国際線は、空港に2時間前に着くように行くようになるので
実質広島発着だと午前7時、岡山発着だと午前6時には空港に着くようにいかなければならない。
ソウル市内から空港までは地下鉄で40分ほどかかるので、
逆算すると日が昇る前に宿を出発するようになる。
これは不便である。
だからと言って、便数の多い福岡や関西から出発するにしても
新幹線移動が面倒くさい。
滞在時間を短くしてでも費用を抑えるか、
滞在時間を重視して福岡か大阪から出発するか、
非常に悩ましい問題である。
そういった意味で、中国地方民のジレンマである。
ローカル空港の定めなのだ。
僕はどうしたか。
滞在時間も長くとりたいし、でも福岡や大阪に行って帰るのも面倒くさい、
そのため、
広島出発(RS)からの福岡着(LJ)で飛行機を予約した。
航空会社が異なるので、チケットは別々での購入になったが、それでも往復約
万と安かった。
【いざ、ソウルへ!!】
飛行機が決まり、ソウルへ向かう。
※エアソウル(RS)はLCC(格安航空)だが、飛行機のシートには大分ゆとりがある。また、機内食はなく、飲み物は水かオレンジジュース。
AREXという空港からソウルまで出ている鉄道を使った。
※AREXの中はこんな感じ。日本の新幹線のような雰囲気。シートも広い。
日本人ばかりである。
※ソウル駅。ソウルの地下鉄はとにかく階段を降りていく。キャリーバックなどの荷物をたくさん持っているとかなり面倒くさい。
宿はホンギク大学駅の近くでとった。
大学の近くということで、若者向けのおしゃれカフェや雑貨屋さんがたくさんあった。
移動は基本的に地下鉄になる。毎回チケットの購入が面倒なので「T-MONEY」カードというSUICAやICOCAのような交通カードをコンビニで購入。
一番にぎわう明洞エリアは東京の新宿のようなところである。
日本語表記も多い。
とにかく人が多い。
宿に戻って次の日の計画を練った。
宿主さんと話しながら何をするか考えた。
そこにあったのは
DMZ半日ツアー
DMZ。
聞きなれない言葉である。
調べてみるとこんな感じ。
全長240kmにも及ぶ。2017年にこの境界線を越え脱北者が出たとのことで日本でもニュースになった。
朝鮮戦争時代、朝鮮が秘密裏に韓国までのトンネルを4か所くらい掘っていた。そのトンネルも見学することができる。
写真撮影に関しては非常に厳しい。
DMZに入るだけでもパスポートの提示が必要になる。
かなりの緊張感があった。
DMZの受け付けがある。
個人での参加はNG。
ツアー参加のみ許される。
展望台からの写真。
奥に見える橋を渡るとDMZである。
厳重なチェックを通過し、いざDMZへ。
平壌行きの鉄道の駅もある。
※都羅(トラ)展望台
韓国最北端の展望台。
望遠鏡越しに北朝鮮が見える。
耳を澄ますと北朝鮮っぽい音楽も聞こえてくる。なんか、社会主義の国によくあるような耳が痛くなるようなあの音楽。。。
※北朝鮮が秘密裏に作っていたトンネルの見学。
※自販機はもう日本のもの
写真があまりとれなかったから、これにてDMZツアーは終了。
僕は現地のツアーに参加したが、日本の旅行会社もDMZのツアーを手配しているようだ。
気になった方はぜひ調べてみてほしい。
ソウルに帰った。
夕方からは、ソウルの京都といわれる仁寺洞を歩いた。
昔ながらの雰囲気がいいです。
雨の景福宮。
ゲストハウスで出会った方と焼き肉。
ここでお伝えしたいことは、韓国は出てくる料理がほとんど二人分からで作られている。だから、一人で焼き肉なんて考えた日にはお金も食料も2倍必要になるから、食事に関しては友達を作っていくことをお勧め。
以上一人ソウル旅。
DMZのおかげもあって、予想以上に楽しかった。
ただ、街並みは新宿のようなエリアなので、外国感はない。
おそらく、少し遠くの県に初めて足を運んでみると同じような感覚になるのだろう。
まあ、今回伝えたいことは、韓国でも過ごし方によって楽しみ方を変えることができるよ、ということ。
それはそうと、地下鉄に乗ったとき、
上写真のようなCMが流れた。
"DOKDO HAS BEEN RECORDED AS KOREAN TERRITORY SINCE ANCIENT TIMES.(大昔から、独島〈竹島〉は韓国の領土ですよ)"
と英語で流れていた。
いろんな国の観光客が使う地下鉄のCMでこんなものを使うとは。
大胆です。韓国様。
イタリア―ドイツの飛行機が片道2000円?!憧れのヨーロッパをLCCや高速バスでお得に周遊!学生旅行や卒業旅行はこれで決まり!
時間はあるが金はない。
…そう、それが学生である。
夏休みや卒業前に1か月くらいかけてどうせなら安く旅をしたい。
と思って、まず行くところはどこか。
そう、旅行会社。
旅行のプロが、あなたのニーズに合わせていろいろなプランを提案してくれる。
だが、今回強く言いたいことは、
ヨーロッパ周遊に日本の旅行会社は使うな
ということだ。
例えば、1番安いプランで航空券を手配してもらおうとすれば、
確かに、その旅行会社が取り扱える航空会社のなかで一番安いものを提案してくれるだろう。
だが、
重要なのは、旅行会社は取り扱える航空会社しか販売しないということ。
当たり前のことである。
私たちが把握できていない航空会社なんて世界にはたくさん存在する。
ヨーロッパも同じで、格安航空、いわゆるLCCもたくさんある。
取り扱いのないヨーロッパのLCCを使ってみれば、おそらく何倍も旅行会社で手配するよりも安くなるはずだ。
また、海外発着の航空券となると、手数料を普段より高くとる旅行会社も多い。
そこで自分で利用する航空会社のHPから手配するのだ。
今回の記事は特に学生必見。
激安のヨーロッパの旅行の仕方を紹介しよう。
日本発着の航空券は適当にとるとして、
ヨーロッパ内の移動にどの航空会社を使うか。
おすすめを紹介する。
WIZZ AIR
である。
ヨーロッパ、とくにハンガリーの航空会社だけあって東欧のルートが多い。
https://wizzair.com/en-gb/flights/map#/
例えば、ロンドンからワルシャワ(ポーランド)やドイツからイタリアなんて日によっては片道2000円ほどだったりなんてことはたくさんある。
私は、ブルガリアで1年過ごしたことがあり、海外に行くときはほとんどこのWIZZ AIRを利用した。機材はごく普通のLCCだ。座席は狭く、機内食などのサービスはない。だが、その分安いので必要ない。
購入方法も簡単で、WIZZ AIRのサイトでメンバー登録して希望の日で予約して、カード決済。
学生旅行や卒業旅行を検討されているのならぜひ利用してみてほしい。
また、お得なのは飛行機だけではない。
MEGA BUS
黄色い服を着た車掌さんがトレードマーク。
ヨーロッパは下のリンクから↓
https://www.flixbus.com/megabus
イギリスはMEGABUSのままで、ヨーロッパは今はFLiXBUSという名前に変わっている。(EU離脱の影響かな?)
これはLCCならぬ、LCB(Low Cost Bus)とでもいえようか。
格安の高速バスである。
ヨーロッパの移動、飛行機で移動するには近すぎるしというときにお勧め。
私は、スコットランドを旅した時に使ったが、
なんと1ポンドだった。
50kmくらいの道のりを、日本の市内バスと同じくらいの料金で移動することができた。
バスの質も高く、二階建てだし、席も広い、しかも充電用のコンセントもついている。
WIZZ AIRとMEGA BUS。
この二つをご紹介した。
ヨーロッパの学生はどうやってヨーロッパを旅するか。
お金のない学生がルフトハンザやブリティッシュエアウェイズなどの
大きな航空会社を使うのか?ユーロスターを使うのか?
だが何も知らない日本人はそれが1番最適な方法として使ってしまう。
バカ高いお金をかけて。
違う。
ヨーロッパの学生も旅のツールとして、
WIZZ AIR やMEGA BUSを使う。
要は日本人が国内を安く移動するとなったとき使う夜行バスのような感覚だ。
日本人は夜行バスを手配する際、日本語サイトから直接予約をするが外国人は夜行バスの存在や手配方法などほとんど知らない。
知っているのと知らないのでは大きく費用の面で変わってくる。
ぜひ皆さんの旅に役立ててほしい。
では。
東南アジア紀行④ タリンチャン水上マーケットへ!謎の魚の大群に圧倒!!
ラオスとタイの国境沿いまでは、小さなヴァンで向かい、
その後は豪華な寝台バスでバンコクへ。
タイは東南アジア旅の最終地点。
バスはバンコクの早朝に到着。ここから2泊して大阪に帰る予定だ。
タイにはバックパッカーの聖地といわれる通りがある。
そこがカオサン通りである。
お土産屋、マッサージ店、衣服、屋台などなんでも安くそろう。
しかも、ゲストハウスやホステルなど格安宿も多くあるためバックパッカーにとってみれば聖地である。
宿はカオサン通りで手配。
宿もこの通り沿いで予約した。
旅も終盤に差し掛かり、疲れていたのであまり観光する気になれず、有名どころのみ行くことにした。
ワット・ポーも
王宮も
中国人だらけ。
興ざめした。
いろんなところでカメラをパシャパシャとっている。
そこでローカルな場所に行きたくなった。
庶民的な場所。
少し調べてバンコクの西にタリンチャンというところに水上マーケットがあるとのこと。
中心地よりも少し離れていたため、まだ観光客は少ないだろうと思った。
バイクタクシーで40分くらいかけて向かった。
ここがマーケットの入り口。この奥に船着場がある。
ただ、欧米人や中国人よりも日本人が多く来ていたように見受けられた。
定期的にボートが出ており、いろんな水路を3時間かけて通り3か所の水上マーケットに連れて行ってくれる。
99バーツだった。(約300円)
料金もかなり庶民向け。かなり安い。
だが、ボートの上で何か買うということはほとんどなく、水路の傍に建てられたマーケットを巡るといったようなもの。
川というよりは、水路をモーター付きのボートで進ような感じ。
こんな感じでタリンチャンにはたくさんの小さな水路がたくさんある。
赤丸がおおよそのボートでマーケットを巡る範囲。
直径6kmくらいだろうか。
タリンチャン水上マーケットを合わせて4つくらいのマーケットを回る。
覚えているところで言えば西のクロンラットマヨム水上マーケット。
正直どのマーケットも同じような感じ。
マーケットに着くと30分くらいの自由時間が与えられる。
途中、バカでかいトカゲも発見。
でかい。
水路には、生活用水や残飯が捨てられ、魚の栄養源となるのか、ナマズみたいな魚がうじゃうじゃいる。
マーケットから水路にパンを投げ入れようものなら、何十匹という魚が荒れ狂う。
おぞましい
3時間で約300円のボートクルーズなので最強のコスパである。
ボートの隣に座っていたのはタイ人の観光客だった。
クルーズ中、竹の中でもち米を蒸した食べ物を屋台のおっちゃんが勧めてきた。
タイ語もわからずなんじゃこりゃといったような感じで見てみると隣のタイ人が奢ってくれ、食べ方も教えてくれた。
さすが微笑みの国である。
夜は、タイの風俗街であるパッポン通りをバイクタクシーで駆け抜けた。
実際に歩いたりもした。
そこで思ったが、
観光客の9割が日本人だった。
挙句の果てには、日本人のキャッチにも纏わりつかれた。
日本の居酒屋やスナックもあるし、もう日本と何一つ変わらない。
なんか変なカルチャーショックを覚えた。
駐在員なんかには最高の街かもしれない
宿への帰り道、ナイトマーケットにも立ち寄った。
翌日の朝、大阪に帰ったが、なんかタイの魅力を存分に味わうことなく、タイを後にするようになった。
これまでの旅で疲れ果て、多少タイは惰性で終わった感がある。
東南アジア旅行を振り返ると、
とにかく人や車・バイクの多さと物価の安さに驚かされた。
日本人や外国人限らず様々な人との出会いもあった。
国と国との移動には陸路移動だとかなり費用を節約できるが、
時間を節約したければ飛行機を使うべきだと思った。
東南アジア。顔はみんな同じように見えるが性格は全然違う。
それぞれいろんな歴史や文化をもっていた。
これにて東南アジア紀行は終了である。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次はどの国へいこうか。