ジョルダンの旅ブログ

旅行ではなく旅が好き。 TOURISTではなくてTRAVELERです。 仕事をしながら時間を作っては 世界のあちこちを旅しています。 秘境・廃墟・絶景や、 その土地での人・文化・伝統との出会いを求めています。 これは旅をテーマにしたBLOGです。

MAME-SHIBA CAFE in Kurashiki

 ABSURD THEMED CAFES IN JAPAN

"Maid cafes", "Cat cafes", "Manga(Comic book) cafe" ....

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「漫画が置かれた棚漫画が置かれた棚」のフリー写真素材を拡大

Japan has long been at the forefront of themed cafes and restaurants. 

 

Recently one of a weird themed cafe attracts attention for Japanese couple.

 

That is "Mame-Shiba Cafe"

 

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Mame-shiba means a mini-shiba inu dog in Japanese.

 

It is originally comes from Japan.

 

Shiba-inu dog is already popular dog around the world.

 

Mame means a bean that references to very small size of the dog like a bean. 

 

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WHERE YOU RELAX WITH MAME-SHIBA DOG

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That cafe is located in the Bikan histrical quarter in Kurashiki in Okayama prefectuer.

You see many histrical Japanese buldings in the quarter.

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Kurashiki is located between Osaka and Hiroshima and it takes around 1 hour and 40 min from Osaka to Okayama and Okayama to Hiroshima as well.

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in front of JR Okayama St.

It`s 20min from JR Okayama station to JR Kurashiki station then 15min on foot to the quarter.

There is also bus from JR Kurashiki St. to the Bikan histrical quarter.

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Okayama prefecture is the largest producer of  a jeans and there are also a lot of jeans shop in the quarter(surrounded by green line). 

 

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 Mame-Shiba cafe is located on the 2nd floor in a renovated japanese old house.

(a souvenir shop on the 1st floor)

 

owls-cats-forest.com

 

You can easily find this so that a big promotional singboard is placed at the entrance of the house.

 

In this house there are other themed cafes not only a mame-shiba cafe.

Those are Owl cafe and Cat cafe.

So 3 themed cafe in this house.

 

But mame-shiba cafe is absolutely the most popular cafe of the 3 .

 

HOW I DID FEEL

 

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I visited to Mame-shiba cafe on a rainy day. 

It was also weekdays.

Because of those situations, the Bikan histrical quarter was really quite.

(Nomally this place is a little bit crowded. )

 

But only mame-shiba cafe is really packed on the day I visited.

 I recommend to there in the early hours.

 

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open 9:30 ~ 17:30

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Adult(Aged 12 and over)   ¥780
Children(Aged 11 and less)   ¥580
Children(Aged 3 and less)   ¥0

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The cafe is about 25㎡ of Japanese style room(Wa room).

Go up to 2nd floor, buy a ticket of mame-shiba cafe, then enter Wa room where mame-shiba dogs play.

You`re gonna have short-time instruction whichi you cannot do in the room with dogs.

・you cannnot hold dogs. (but it`s ok if a dog comes to you by itself )

・you cannot disturb the dog`s play rout so that dogs cannot take a leak.

・you cannot put your baggage on the mat.

and so on.

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You choose a drink from a vending machine and  sit on a tatami mat.

Then finally you can relax with the cutest dogs.

 

 

30min for ¥780 for adult.

 

 

 I think it is little bit too expencive.

But don`t care because of those dogs.

 

Spend 30min staff let me know "it`s time to leave" .

If there are`nt waiting people, it`s gonna be 45min or 60min.

(I actually stayed for about 60min. )

 

 

Mame-shiba dogs are nomally friendly only stuffs.

If they move, dogs follw them. 

It might be difficult to be friendly to them.

If you pad them, they walk away.

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Sometime a stuff finds the custamer at the very-few-dog`s area,

then she move there and mame-shiba dogs also move there.

 

CONCLUSION

 How is the mame-shiba cafe?

If you plan to travel to Osaka and Hiroshima, put visiting to the mame-shiba cafe on your schedule.

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Why don`t you drop by Okayama prefecture?

 

Your travel would be more enjoyable!!!!

 

 

東欧3カ国を巡る⑤ 「温泉都市」ブダペストに「ドナウの真珠」、ブルガリアまでの鬼畜寝台列車

why hungary????

 

気づけばこのシリーズも5回目になる。

 

今回が最終章。

最後の目的地はハンガリーである。

 

留学先のブルガリアから

 

ポーランド

 

スロバキア

 

ハンガリー(今ここ)

 

とバスや電車で巡った。

 

留学も約6ヶ月が経っていた。

ブルガリアは日本を感じれる場所が少ない。

日本食レストランもほとんどないし、クオリティーも低い。

丁度日本食や日本文化にうえていた。

 

 

そんな中、ハンガリーは温泉で有名なため、

ハンガリーを旅の最後の目的地にし、

疲れたからだを温泉で癒そうと考えていた。

 

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訪れたのは首都であるブダペスト

特徴は、地図真ん中に流れるドナウ川を境界線にして

 

西側→ブダ地区

東側→ペスト地区

 

の二つの地区からなる都市である。

 

ブダペスト到着

 

コシツェからブダペストまでは鉄道で移動した。

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コシツェ駅にて

約7時間の鉄道移動。

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日が落ちるくらいに出発し早朝ブダペスト中央駅に到着した。

 

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ブダペスト中央駅

この駅の建物はかなり迫力がある。

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ブダペストは実は移民問題が深刻で、戦争が行われている国や貧困で国を去ることを決めた中東やアフリカの難民・移民たちが行き場を求めてブダペスト中央駅の周辺に集まっている。

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難民・移民たち

アフリカ大陸から海を通ってきたり、シリアやヨルダンから戦火を逃れやっとの思いでヨーロッパに足を踏み入れた彼らは、よりいい暮らしができる西欧や北欧を目指す。

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ブタペストは観光地としてはかなりいい街である。

交通もしっかり整っていて、観光地もたくさんある。

物価も安い。

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訪れるところは基本的にはドナウ川の川沿いである。

ペスト地区のより東は金融街のような感じになっており、

温泉がたくさんあるのはブダ側になる。

 

腹ごしらえ

 

日本食が恋しかったので、日本食レストランを探した。

 

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ペスト側地下鉄のArany  janos utca駅の近くで見つけた、「ARIGATO」という日本食レストランに入った。

店の看板が海外でよくある「なんちゃって日本料理屋」ではなかったので

期待大で入店した。

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出迎えてくれたのは日本人のおばちゃんであった。

 

かつ丼とそばの定食を注文。

味は想像した通り間違いなかった。

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※調べてみると、このレストランは2015年の11月で店を閉めていた。レストランを経営していた日本人夫婦が日本に帰国したらしい。日本のどこかでまたレストランをやっているのであればぜひいただきたいものだ。

 

おんせんへ

 

おなかも満たされたところで、

いよいよ楽しみにしていた温泉である。

何か所か有名どころがあるが、その中のゲッレールトと呼ばれる温泉に行った。

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ゲッレールト温泉

ここは「温泉」というよりは、「温水プール」。

この真ん中のプールでは、健康のためにご年配の方たちがエクササイズのレッスンを受けている。

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受付でチケットを買い、コインロッカーへ荷物を預け、

入浴する。ルールは日本と同じである。

が、

皆水着を着て入浴しているため、やっぱり温泉というよりは温水プールと呼んだほうがよさそう。

 

ただ、留学して以降、湯船に浸かってなかったのでかなりいやされた。

 

市内散策

 

疲れを取った後は、夜まで時間があったため、

市内をぶらぶらした。

 

やっぱり絵になる街「ブダペスト」。

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そして、日が落ちようとする頃、

夜景を見に、ブダ側のゲッレールトの丘というところに夜景を見に行った。

ゲッレールト温泉から歩いて分くらいだ。

 

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街が夕日に照らされる。

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ブダペストは僕の心を癒してくれた。

景色も、食事も、温泉も。

みんな素晴らしい。

 

丘からの帰りは、日本人の大学院生

2人組に声を掛けられ、一緒に飲みに行くことに。

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※ジョッキでかすぎ!!!

 

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そして、ゲストハウスに戻った。

どうやら、この夜は部屋は僕一人のようだった。

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帰るよー‼

翌日は、ついにブルガリアへ帰る。

初の寝台列車である。

駅は相変わらず、配給をもらおうとする難民たちで溢れかえっている。

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異様な光景である。

 

列車は17時間くらいで留学先であるブルガリアのソフィアに到着する。

 

わくわくしながら列車に乗った。

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このスペースを4人で使う。

狭すぎツツ!

 

足ものばせないし、目が覚めたと思って座ろうとすれば、

上のベッドに頭をぶつけてしまう。

 

ここで17時間はきつかった。

国境を越えるときは、車掌さんが、パスポートを回収しに来る。

最初は超不安でちゃんと帰ってくるのかドキドキしたがちゃんと帰ってきた。

 

そんなこんなで、無事にソフィアに着きました。

 

東欧最高ですッッ!!!!!!!!!!!!!

東欧3カ国を巡る④ 丘の上のスピシュ城

夜行バスでスロバキア

 

アレックスとクラクフ中央駅で別れを告げた後、

次の目的地、スロバキア第二の都市コシツェまでの夜行バスを予約した。

 

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クラクフ中央駅近くのバスターミナル

夜行バスと言っても写真のようなヴァンでの移動となった。

あまり、観光地として人気がないのか、ヴァンに乗り込んだのは僕を含め3人のみ。

 

1人はバックパッカーのアメリカ人。

もう1人はおそらくスロバキア人。

 

※話はそれるが、いつも「スロバキア」と「スロベニア」がごちゃごちゃになる。

 

深夜0時くらいに出発して、

コシツェに到着するのは大体8時くらいなので約8時間のバス移動である。

FlixBusが安くておすすめだ(13€):

https://shop.flixbus.com/search?rideDate=01.02.2018&adult=1&children=0&bike_slot=0&route=Krak%C3%B3w-Ko%C5%A1ice&departureCity=1915&departureStation=&arrivalCity=6208&arrivalStation=&_locale=en

スロバキアのとある街でいったんバスを乗り換えた。

そこで、スロバキア人とみられる女性は降りてしまい、

ヴァンの中は僕とアメリカ人女性の2人となった。

 

彼女は中国で数年間英語の先生として働いていた経験がある。

30歳くらいだと思う。

 

ホテル、どこ?

コシツェのバスターミナルについたときはまだ日が昇る前だった。

僕はクラクフで事前にコシツェの宿を予約していた。

 

連日の安宿続きで、1日くらいはリフレッシュしようと思い、

安くてよさげな「ホテル」を手配していた。

www.booking.com

 

アメリカ人の彼女はコシツェについてから宿を手配しようと考えていたが、

あたりは暗いし、疲れているということで僕が予約している宿に宿泊できるか直接泊まれるか聞いてみるとのこと。

というわけで、2人で宿を目指すわけだだが、

宿までの道のりが果てしなかった。。

 

土地勘も全く分からないまま手配したホテル。

「デイビッド ホテル」という名前。

いかにもありふれた名前のホテルだったし、

何も疑わなかった。

 

バスターミナルに到着した後、南にあるホテルを目指して歩いた。

直線距離にして大体2kmくらいだ。

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ずっとgoogle map様を見ながらどういうルートで行くか決めた。

ずっと北から南にかけて鉄道が走っており、そのすぐ横に細い道があった。

f:id:soratobuhituzikun:20180131181650p:plainこのルートだと簡単にホテルまで行けると思っていた。

 

 

が、

 

 

 

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そこは道なき道で、

ひたすらやぶの中をかき分けながら進むことになった。

 

もうあと5分も歩けば正規の道にたどり着くはずだ。

そいお互い言い続け、結局2時間くらいが経ってしまった。

 

僕が選んだホテルのせいで、

アメリカ人女性には本当に申し訳ないことをしたと思っている。(わら)

 

 

 

約8時間もヴァンに揺られ、ようやくたどり着いたと思ったら

 

“これ”である。

 

 

気付いたら夜も明けていた。

 

 

ホテル自体の対応はすごくよかった。

朝8時くらいに行ったのにもかかわらず、部屋が空いてるからということで、

そのままチェックインすることができた。

 

アメリカ人女性にお互いひと眠りしようということで

それぞれの部屋で仮眠をとることにした。

 

スピシュ城ヘ!!

 

目が覚めると昼前。

実は、コシツェの街自体はあまり興味がなく、

ほかに行きたいところがあった。

 

それが、スピシュ城である。

 

コシツェからバスで1.5時間くらい行ったところにスピシュケー・ポドフラディエという

小さな村があるのだが、そこにかつてトルコ軍との戦いで活躍したといわれているフォートレス(城跡)があるのだ。

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コシツェ発時刻表

 

ちなみに、正規のルートでホテルからバスターミナルまで歩いてみた。

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往路はこの河原の奥の森をずーーーっと歩いていた。

写真手前は道路になっている。

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広告には、「Fear the Walking Dead」が。

大好きなドラマである。

 

結果、観光のためのホテルとはかけ離れていた。

普通に歩いても、かなり遠回りすることになった。

車がないとかなりきつい場所である。

 

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橋作れやッ!!

 

 

 

 

 

気を取り直して、スピシュ城へ。

村自体は本当にのどかだった。

 

スピシュケー・ポドフラディエ

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ここで出会った60歳くらいの日本人観光客によると、

この村はジプシー(ロマ人)が作り上げた村だという。

確かに、村人の雰囲気なんかは少しほかの街とどこか異なっていた。

 

村を探索していると、巨大なフォートレスが姿を現す。

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村があって丘があって城がある。

なかなか他にはない光景だ。

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もちろん中も見学できる。

フォートレスまでかなり歩くようになる。

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もろこし畑の隣を歩きながら城に向かう。

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やっと入り口

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景色は抜群に良い

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スピシュケー・ポドフラディエの村

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城内はこの城の歴史を物語る展示物や、拷問部屋、調理場なんかも見学できる。

 

久々に期待を超える場所だった。

かなりおススメです。

 

彼女は、、、

 

この村は行くところが、スピシュ城しかないため半日観光でも全然ok

 

この後はコシツェに戻りぶらぶら散歩を楽しんだ。

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物価は西欧なみに高く、通貨もユーロが使われているが、

落ち着いていてリラックスできるいい街であった。

 

ホテルに戻ると、レセプションのお姉さんに声をかけられた。

 

レ「あなたの友人が置手紙を残しています。」

 

アメリカ人の女性からだった。

 

米女「私ははやいけどこの街を出ることにしたわ。次目的地のブラティスラバを目指します。お互い旅を楽しみましょう。」

 

なんか最後までこの女性とは気まずかった。。。

 

というわけで、

僕は翌日、最終目的地であるハンガリーを目指す。

 

次回、ハンガリー編!!!!

東欧3カ国を巡る③ 顔面にツバを食らったおはなし

いざ、ビエリチカ岩塩鉱へ

アウシュビッツ見学を終えた翌日。

 

東欧旅2カ国目のスロバキアの第二の都市コシツェ行きの

夜行バスの出発時間まで何をしようか考えていた。

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クラクフ市内 早朝のお散歩1

持っていった地球の歩き方ポーランド編でアウシュビッツの次に気になったのが

世界遺産にもなっている「ビエリチカ岩塩坑」であった。

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クラクフ市内 早朝のお散歩2

僕は教会とか美術館系にはあまり興味がなかったので、余計目を引いた。

 

クラクフの中心地から10kmしか離れていない岩塩坑ためかなり気軽に行ける、

と思いローカルバスに乗ったが結構難しかった。

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クラクフ市内 早朝のお散歩3

いろんな人のブログを見て、市内からバスで岩塩坑までの行き方を知らべた。

最終的にバスで行くなら304番のバスに乗れば岩塩坑に着くとわかり304番のバスに乗った。

 

参考にしたブログには岩塩坑までたくさんの観光客が乗っているから、

降車場所もすぐわかると書いてあったが、そのときバスはスッカスカでどう見ても観光客らしき人は片手で数えるれるくらいでその人たちが岩塩坑まで行くのかどうかも怪しい。

 

不安に思いながらバスチケットを持って座っていたが、それまで乗っていた観光客らしき人たちが皆「え、ここ?!」と思うようなバス停で降りようとしていた。

 

「もうついたのか?」

「あたりに何もないぞ」

「降りるべきか、残るべきか」

 

と一人で考えていた。(聞けばいいものを。。。)

 

結果、降りた。

 

降りて、気づく。

ここではないと。

 

バスチケットをただただ無駄にしただけであった。

そして、次のバスを待った。

 

次のバスに乗った。

やっぱり観光客らしき人はいなかった。

ただ一人地元の人じゃなさそうな欧米人が一人乗っていた。

 

車内でチケットを購入しようとすると、

車内の券売機が壊れており購入できない。

 

このままだと無賃乗車していると疑われるかも。。。とビビッていると

その欧米人が話しかけてきた。

 

?「壊れとるから払わんでええやろ。」

 

僕「やっぱり?」

 

ポーランドのバスはバス停の券売機かバス内の券売機でチケットを購入し

その後チケットを使いますというしるしを専用の機械で付ける。

定期的に「コントローラー」と呼ばれるチケットをちゃんと購入して乗車しているかチェックする係員がバスに乗ってくる。

そこでもししるしを付けたチケットを持っていないともれなく罰金が科されてしまう。

 

その男もチケットを購入していないとのことだったので、

コントローラーに見つかったときは一緒に怒られようと思い、結局購入せずに座った。

 

その欧米人の男はオーストラリア人の旅人だった。

聞けばオーストラリアで芸能活動をしているらしく、

今は時間がたくさんあるからヨーロッパを旅しているという。

アレクサンダー(以後アレックス)というやつだ。

 

格好や風貌は僕の中の「ザ・オーストラリア人」という感じ。

ぼさぼさの髪の毛と無精ひげがいい感じに決まっていて、

どこの民族衣装だとツッ込みたくなるような模様の服を4枚くらい重ね着し、

両腕には何個ものブレスレットが付けられていた。

 

まあ、苦手なタイプだった。(わら)

 

というかオーストラリア人が苦手だった。

これまで出会ったオーストラリア人が強すぎる自我と無骨さワイルドさを持っていたので、かなり苦手意識は持っていた。

アレックスもそんな感じかなと思ったら案の定そんな感じだった。

 

今回の岩塩坑旅ではこのオーストラリア人の男に振り回されることになる。

 

坑だがほろ苦い旅の経験のお話である。

 

アレックスとの出会い

 

ただ、決して悪いやつではなかった。

たまたま、アレックスも岩塩坑を目指しているということだったのでともに行動することにした。

最寄のバス停から岩塩坑までは10分くらい歩いたところにある。

行ってみると、ここもアウシュビッツみたく、個人での見学は不可で

ツアーでの見学が必須になっていた。

チケットを買って、僕たちの順番が回ってくるまで出店でソーセージとビールを買った。

 

見学ツアーの順番が回ってきてもビールが残っていたため、

僕たちはビール瓶片手に岩塩坑内を見学することにした。

 

そのときは思わなかったが今思えば

世界遺産で非常に失礼な行いである。

 

岩塩坑入り口を通過するとまず出迎えてくれるのは800段の階段である。

 

ほろよい2人には

非常にしんどいミッションだった。

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階段が地下深くまで続く。

 

ここでもポイントポイントでガイドによる英語の説明を受ける。

そんななか、アレックスは思ったことをなりふり構わず僕に言ってくる。

 

アレ「このガイドおもしろくないな」

アレ「俺たちの前にいる団体のガイドのほうがおもしろそうだ」

 

そう言って、アレックスとは別行動で見学することになった。

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岩塩で作られたオブジェがたくさんある

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問題発生

 

階段を降りると、坑道が続いている。

マインクラフトのゲームの世界みたいだった。

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途中、僕も気づいたら最初いた見学団体と1つ前の見学団体を行き来しながらマイペースに見学していた。

道中何回か休憩スポットがある。

アレックスとはいまだに別行動だった。f:id:soratobuhituzikun:20180129214137j:plain

問題はこの後だった。

 

?「ブッッッッttttttttttttttttttt」

 

僕「!?!?!?!?!?!?!?!?!?」

なんと突然見知らぬ男に顔面につばを吐きかけられた。

 

その男も観光客で最初に僕がいた見学団体の客の一人だった。

頭に血が上っておりカンカンに怒っていた。

というよりブチぎれていた。

スペインからの観光客らしく、かなりのスペイン語なまりの英語で僕に叫んできた。

 

さっきてめぇの友達にこうやって俺の顔面にツバを吐きかけられたんだよ!!!

どうなってんだ、てめぇの友達は!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

僕「アレックス。。。。」

 

どうやらその男は僕とアレックスが最初に一緒に坑内を回っているのを見ていたらしく友達だと思っていた。

思いっきり弁明した。

 

僕「そいつは、友達だけど、今日バスでたまたま出会ったやつで一緒に回っているだけなんだ。俺は関係ないんだ。(てへ)だけどごめんね。ツバを吐くなんてありえないね。もし、会ったら厳しく言うから許して。」

 

「ゆるさん。」

 

次ぎあったらぶち○してやると言わんばかりの表情でそいつはアレックスを探しに行った。

 

こうなったらもう岩塩坑どころではない。

 

僕もアレックスを探した。

 

海外での留学中にマジでキレられたのはこれで2回目だった。

1回目は、ブルガリアはソフィアの学生寮での出来事。

学生が100人近く生活する寮で、洗濯機が3つしかなかった。

基本的には、自分の選択が終わる時間になったらすぐ洗濯機から洗濯物をとり、

次の利用者が使えるようにするのだ普通なのだが、

前の人が終わってもなかなか回収しに来ない。

そこで、前の人の洗濯物を洗濯機から出していたら

その洗濯物の所有者の女がやってきた。

女「ワレなに勝手にわたしのもん持っとんねんっっっ

 

 

そこで人生初めて本気の”FUCK YOU”を言われた。

 

 

僕氏「いや、お前がとりに来るのがおせぇんだろうが!!」

 

とは言うものの、女は強い。

 

その女の洗濯物のパンティーやブラジャーなどを両手で抱え、

隣のカゴにポイッと投げているところを見られれば

もう男に勝機はない。

 

というエピソードを思い出した。

話が脱線したので岩塩坑に戻る。

 

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最後の休憩所で、ガイドとスペイン人の観光客とアレックスがもめているのを見つけた。

 

ガイドがうまくなだめたようで二人はなんとか和解した様子だった。

 

僕を見つけたスペイン人男は僕の下へ歩み寄ってきて

 

男「てめぇの友達はイカれてやがる

 

と、ジェスチャーを交えて僕に吐き捨ててきた。

 

そしてアレックスのところに行き事情を聞いた。

 

僕「何で顔面にツバなんか吐きかけるねん?!」

 

アレ

ちょっと酔っ払って、気持ちよくなって挨拶代わりのジョークだったんだけど、あの男はぜんッぜんジョークが通じないクソ野郎だった。

 

 

クソ野郎はテメェであると思った。(笑)

 

こんな感じで、オーストラリア人の問題児に振り回された1日だった。

 

帰りは一緒にクラクフ市内まで戻った。

 

バスが複雑だったので電車を使って帰った。

※バスより電車のほうがわかりやすいです。

 

ということでこれにて東欧ポーランド旅はおしまいである。

 

その夜は夜行バスに乗り、いよいよ翌日はスロバキアへ!!!!!

次回からは東欧旅2カ国目、スロバキア編に突入!

東欧3カ国を巡る② アウシュビッツで感じた当時の悲惨さ

いざ、アウシュビッツ

さて、ポーランドに到着した夜は、

コンビニでアーモンド味のウォッカの小瓶をお土産に購入。

 

ついに翌日はアウシュビッツである。

 

行き方はバスか鉄道の2種類あるようだが、

クラクフの中央駅から鉄道でアウシュビッツのあるオシフィエンチム駅まで向かった。

 

アウシュビッツ強制収容所は2種類の場所が存在する。

 

アウシュビッツ第一収容所と第二収容所である。

 

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お互いの建物は2.5km位はなれており、

この2種類の建物の行き来はシャトルバスを使えるので便利である。

最初に向かうのは、

駅から南にある収容所が第一収容所。

そこで、見学のためのチケットが購入できたり、

ガイド付きの見学ツアーの予約ができる。 

時期によっては、収容所内の見学はガイド付きでないとできないこともあるので

注意しよう。

繁忙期は、大変込み合うのでホームページなどで事前予約がお勧め。

 

公式ホームページ:Auschwitz-Birkenau

 

そのほか詳細については、

いろいろな方々が記事にしているので参考にしてほしい。

witam-pl.com

 

オシフィエンチムの駅に着くと第一収容所まで15分ほど歩くことになる。

町の雰囲気はかなり田舎の住宅街。

 

収容所の周りには基本的にはなにもない。

第一収容所の隣に小さなレストランがあるだけ。

 

受付で英語ガイドの見学ツアーの予約をした。

30分くらい待ち、セキュリティーチェックを受け、いざ見学へ。

 

英語ガイドによる見学

 

15分おきくらいに20名ほどのツアー団体が出発していく。

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 Arbeit macht Frei "

(アルバイト マハト フレイ)

=「働けば自由になれる」

 

見学のスタートはこの正門から。

収容者に待っているのは自由なんかではなく、地獄であった。

 

ここで初めて「アルバイト」という言葉がドイツ語からきたことを知った。

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後ろを振り返ると次のツアー団体が。

 

このときはちょうど八月で繁忙期になるためかなり観光客は多かった。

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ポーランド人による英語のガイド。

2枚目の写真は、収容所につれてこられた人が、振り分けられている様子。

働けるものか、そうでないか。

働けないとわかればガス質に連れて行かれる。

 

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みせしめのために多くの者が射殺された場所。

 

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逃げることもできなかった、柵には電流が流れていた。

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ガス室

多くの子供、女性、病人、ゲイが殺された。

ガス室の処理をするのも収容所で働かされていた強制労働者だった。

 

 

続いて、第二収容所へ。

シャトルバスで移動する。

 

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通称、地獄の門

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何十時間も狭い貨物車に入れられ、この収容所につれてこられる。

「シャワーを浴びれる」と言われ、連れて行かれるのはガス室であった。

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修学旅行中のイスラエルの学生たち。

 

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当時、この貨物車ひとつに100人の労働者が乗せられていたという。

 

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本当にのどかな場所で、約70年前に、そんな悲惨なことが行われていた場所団なんて想像できない。

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当時、収容者が寝ていた場所。

この狭いところに1区画に3,4人が寝ていた。

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とまあこんな感じで、3~4時間くらいの見学だった。

 

薄っぺら意気地になりそうなのであえて感想は書きません。

それぞれが何かを感じることができる場所です。

 

翌日は、クラクフからバスでビエリチカ岩塩鉱に向かいます。

 

東欧3カ国を巡る① 片道27時間のバスに揺られてどこへ行く

BEFORE THE JOURNEY

さて、今回の旅の記録は、ブルガリア留学時代の夏休み、一人旅で

 

ハンガリースロバキアポーランドの3カ国の旅である。

 

長い夏休みの期間いろいろなところへ旅をした。

 

その中で、一番移動時間の長いバスに乗ったのが今回の旅である。

 

ブルガリアからポーランドまで バスで27時間。

 

ブルガリアからトルコまでの5時間ほどのバスでヒーヒー言っていたのに、

27時間となると想像を絶するものとなった。

 

ルートは

 

ブルガリア 

 

→ ポーランド 

 

→ スロバキア 

 

→ ハンガリー 

 

→ ブルガリア

 

※復路ハンガリーからソフィアは寝台列車、それ以外はバス移動

 

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旅の第一の目的は、ポーランドアウシュビッツ収容所を見学することだった。

ちょうどアウシュビッツと広島・長崎の原爆の悲劇が重なって、留学中は1度は以降と決めていた。

それに、その年は広島に原爆が落とされて70年目にあたっていた。

 

どうせポーランドまで行くなら道中も楽しみたいとのことで、特にぱっとしたもののないスロバキアと温泉で有名なハンガリーの首都ブダペストに行くことにした。

 

出発前にブルガリアに留学していたポーランド人に一番安い方法で

ポーランドに行く方法を聞くとこのサイトが安いよとのことで教えてもらった。

www.sindbad.pl

ただ現在このサイトでは、ソフィアからポーランドのクラコフまでのバスの運行はなくなっていた。安すぎたのかな?

セール価格で20ユーロ。大体の相場は70ユーロくらいが片道の料金である。

 

アウシュビッツについて調べているとどうやらポーランド人でもなるのが

難しいアウシュビッツのガイドに日本人が働いているとのこと。

中谷さんという方で直接メールも送らせてもらったが、

ちょうど先客がおり無理だとのことだった。

普段の旅では英語のガイドで全然問題ないのだが今回ばかりは

言っていることを100%理解したいと思い、日本語ガイドを望んだがかなわず。

 

2015年8月 ポーランド

 

ブルガリアから一番近い国がハンガリーであったが、

一番遠いポーランドから旅をスターとさせることにした。

 

ソフィアから27時間のバスである。

道中、セルビアを通過するのだが、この国はEUの非加盟国のためブルガリアハンガリーのそれぞれの国境沿いでは入国&出国手続きのため真夜中でもお構いなしにバスから降ろされパスポートチェックと荷物チェックがある。

旅慣れていない最初のころはなんだなんだと思いあたふたしていたが、

今となっては慣れたものだ。

※手続きは15分から1時間くらい。車の込み状況によってはかなり待たされることになる。

 

東欧にきたら結構な確立で、バスでは隣の人に声をかけられる。

日本人がかなり珍しいからだ。

しかも、その人がおじいちゃんやおばあちゃんだった場合はほぼ間違いなく話しかけられるので要注意。(笑)

 

今回も声をかけられた。

「どこから来たの?」

「何を勉強しているの?」

ブルガリア語はわかる?」

なかなか寝させてくれない。(笑)

 

今回にいたっては近くにそのおじいさんの家族も乗車しており、

会話がどんどんどんどん車内に広がってしまった。。。

 

「おー!日本人の学生か!!」

「すごいな!!」

 

みたいな。(笑)

そんなおじいさんの孫に当たる二人の女の子と仲良くなった。

二人ともソフィア出身の高校生である。

ハンガリーブダペストを旅行するという。

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二人の女の子。記念に1枚。

見てわかる通り、
上の写真はセルビアハンガリーの国境でとったものだが

ほとんど寝るれていないため顔がかなり疲れている。。。

 

まあしかし、まったく話しかけられないよりかは

話かけてもらえるほうがありがたいと思ってる!

 

そんなこんなで27時間が経った。

セルビアベオグラードハンガリーブダペストスロバキアのブラティスラバを経由しポーランドのクラコフにたどり着いた。

目的のアウシュビッツはクラコフからバスで少し行ったところにあるので

その日は予約しておいたゲストハウスに荷物を置きに行く。

クラコフに到着したときが昼前くらいだったので、疲れてはいるものの

アウシュビッツまでの行き方と市内を少し探索することにした。

www.booking.com

 

街を歩いてみるとびっくり。

ずっと東ヨーロッパを旅していたので、

東欧=黒ずんだコンクリート作りの味気ない街並み

という印象が強かった。

しかし、クラコフは西欧風の建物が多い。物価も安いし、食べ物もおいしい。

かなり気に入った。

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ロシアやジョージアポーランドにも餃子のような食べ物がある。

皮の厚さや中身はそれぞれの国の特徴があって面白い。

 

中国から伝わってきたのかな?

 

 

翌日はバスでアウシュビッツへ!!

 

東欧3カ国を巡る②に続く

海外で殺されかけた話

面白いばかりが旅ではない。

 

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時には僕の知識不足から殺されかけた経験もある。

 

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そんな、死と隣り合わせとなった体験を綴っていこう。

 

ヨーロッパのサッカーファンは独断で半分以上の人がクレイジーである。

それにかなり迷惑なクレージーである。

 

ブルガリアのソフィアに留学をし始めてすぐ、

イタリア人の友達がブルガリアリーグの試合を見に行こうと誘ってくれた。

 

観戦チケットも500円くらいだったと思う。

 

CSKソフィア VS レフスキソフィア

 

どちらも首都・ソフィアのチームである。

 

試合前。

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KICK OFF。

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2分後。

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戦争である。

 

トルコなどの近くの国ののサッカーチームのユニフォームを着てソフィアの街を歩けば

必ず友達に忠告されていた。

 

友「お前、殺されるぞ」

 

そんなわけはないと、思っていた。

試合ではちょっと熱が入ってはっちゃけるくらいだと思っていた。

人間みな根は良い人というのが僕の頭の中にはあった。

 

そんなこんなで、特に何もなく、留学生活は約一年後の最終日の前夜を迎える。

友達の忠告を何度も受けるも、守らなかった。

 

その日はレフスキソフィアのニット帽を身に着ていた。

僕自身、サッカーが好きなだけである一つのチームに執着して応援しているというわけではなかった。

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 このニット帽にはサッカー以外の思い入れがかなりある。

1年の留学が終わる間際になると多くの友人がパーティーを開いてくれたり

プレゼントを用意してくれたりしていた。

 

この帽子もそのプレゼントの一つで、サッカー好きな私のために

わざわざ購入してくれた代物である。

 

日本帰国前夜。

 

その日もブルガリア人の友人が最後レストランで集まって食事をしようと誘ってくれた。

皆仕事やなんやかんやで忙しいのにもかかわらず集まってくれるというのでワクワクしていた。

 

学生が多く暮らすスツデンスキグラッドというエリアのレストランだった。

僕が暮らしていた寮もそのエリアにあったためバスを使って15分の距離だ。

 

集合時間に合わせて寮を出てバスに乗る。

 

その日はあのニット帽を身に着けていた。

 

レストラン近くでバスを降りる。

 

 

がばッ

 

 

僕「??????????????????????????

 

いきなり後ろからニット帽をはぎ取られた。

 

 

 

そいつは、バスの中で後ろからずっと僕のことを睨んでいた25歳くらいの若者だった。

最悪なことに右手にはビール瓶を持っており、目は血走っていた。

 

※日本人自体ブルガリアには少ないため物珍しそうに

見てくる人たちは普段からたくさんいた。

その男もそういう人たちの一人だと思って気にしなかった。

 

 

男「おれがコイツを捨ててやる

 

 

右手にビール瓶、左手にニット帽を持ったその男は僕に言ってきた。

 

最初は新手のブルガリアジョークかと思った。

 

僕「返してくれ。これから約束があるんだ

 

男「無理。

 

僕「?????????????????」

 

男「お前このチームが好きなのか?

 

僕「僕はサッカーが好きなだけだ。このチームに深い思い入れなんてない。

 

返答によっては大変なことになるだろうなと思いながら、

言葉を選びながら話した。

 

男「じゃあ捨ててやる(即答)

 

僕「それは僕の大切な人からもらったプレゼントなんだ。はよ返せや。

 

言葉もだんだん汚くなっていく。

 

男「俺はこのチームが大っっっっ嫌いなんだ。

  プレゼント?こんなのたった500円で買えるだろ。

  捨ててやるよ。

 

もう何を言っても通じなかった。

彼は僕が身に着けていたレフスキソフィアのライバルチームであるCSKソフィアの熱狂的なファンであった。

沢に悪いことに酒+何かマリファナでもやっていたのだろう目が血走っていた。

 

そこで素直に帽子を渡して引き下がれば

そのキチ〇イ野郎とは何もなかったが

せっかくのプレゼントだったし

日本人だから舐められている気がして食い下がった。

 

何を言っても無駄だと思った。

 

 

がばッ

 

 

今度は僕が男が左手に握っていた帽子を思い切り引っこ抜いた。

 

 

 

・・・・・走った。

 

 

ビール瓶持って男は走ってくる。

 

僕はうまく走れない。

その時、初めて普段クツひもを結んでいなかったことを後悔した。

 

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追いつかれる。

 

男「コラ

 

自慢の筋肉でがっしり僕の腕を掴んでいた。

 

友達との約束の時間は15分は過ぎており、

そのうちの一人から電話があった。

 

友「今どこ?

 

僕「今ちょっともめてる。すぐ行くから待ってて!!」

 

心配をかけたくなかった。

助けてと言ったら、その日の集まりはまずなくなるだろう。

だから、待っててとしか言わなかった。

 

男「帽子わたせ」

 

僕「やだ」

 

男「わたせ」

 

僕「無理」

 

こんなやり取りが10分は続いた。

 

周りの通行人は誰も助けてくれない。

なんせ喧嘩なんて日常茶飯事のエリアだったし、

厄介ごとに巻き込まれたくないのか

僕がブルガリア語の通訳を求めて英語を話せる人はいないかと手あたり次第

声をかけていたけど、無視、無視、無視。

 

なんと冷たい国だと思った。

 

その時、アホメッドという年末年始に一緒にイタリアを旅するくらい

仲の良かったチュニジア人の親友が通りかかる。

 

ア「やあ翔太。」

 

直会いたくなかった。

もめてる姿なんて見せたくなかった。

 

ア「友達かい?」

 

僕「NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!」

アホメットにこれまでの経緯を話した。

 

だがこのままではアホメッドまで巻き込んでしまうと思い

また走った

 

体力には自信があった。

 

その男は酒も飲んでいたしあんまり追いかけてはこないだろうと思っていたが、

体力は結構あった。

 

少し路地をそれると真っ暗な場所にでる。

そこで捕まってしまえばマジで何されるかわからんと思い

大通りを逃げた。

 

すぐ捕まる(笑)

 

逃げながらいろんなことを考えた。

保険に入っているからケガしても大丈夫かな。

でも喧嘩って補償対象外だったような。

もしケガして飛行機乗れないと振り替えた飛行機の代金とかどーなんの。

じゃあやっぱりケガしないほうがいいな。

よし、暗い所に逃げるのはやめよう。

 

「分かった。渡さないのなら仲間を呼ぶ。

 今は俺だから何もしないままでいるが、

 俺の仲間は俺みたいに優しくはない

 ぞ。」

 

 

 

呼べよ

 

何の映画を見せられているのだと思った。

こういうシーンはいろんな映画でたくさん見てきた気がする。

 

おもむろにケータイを取り出し電話しだした。

ブルガリア語だから何を話しているかわからなかったが・・・

 

その瞬間にこっそり靴のひもを結んだ。

 

次が最後のRUNになると心に決めた。

 

5分くらい経ち、男はケータイを確認し、

歩道から道路に顔を出し仲間に自分の位置を知らせるような素振りをした。

実際に仲間が来たかどうかは確認していないが

これはチャンスと思い目を離したすきに思い切り逃げた。

 

今度は靴ひももきちんと結ばれていたため一気に突き放した。

 

大通りだとどこまで逃げても同じなので、

今度はあえて人のいない真っ暗い路地裏に逃げ、

連立するアパートとアパートの間に隠れた。

 

途中まで男が追いかけてくるところが見えたが

なりふり構わず逃げていたため

どこまで追いかけてきていたか分からない。

 

ここで捕まったら絶対に殺されると思いながら

5分間潜んでいた。

 

そしてさすがにもうあきらめたかなと思って

一気に待ち合わせのレストランまでダッシュした。

 

皆心配してくれていた。

 

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最後はブルガリア料理をみんなで楽しんだ。

 

僕電話を確認するとアホメッドから何回も

心配して着信が入っていた。

メッセージには、

大丈夫か。今どこだ。心配だから警察を

 呼んだよ。

 

と書かれてあった。

 

すぐ、お礼の電話をした。

 

ありがとうアホメッド。。。

 

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アホメッドとは次の日、

フライト時間ぎりぎりまでチャイを楽しんだ。

 

フゴのボールはアホメッドに引き継いだ。

※前回ブログ参照

tabizukijordan.hatenablog.com

 

FACEBOOKにこの出来事を投稿すると

たくさんのブルガリア人の友達が声をかけてくれた。

 

実はブルガリア人のサッカーに対するクレイジーさはヨーロッパでは有名で

クレイジーなサッカーファンが人の命を殺めてしまった事件は映画にもなっている。

 

今回何もなくてほんとに良かったが

今回一番伝えたいことは

 

 

靴ひもはちゃんと結ぼう

 

 

である。