ジョルダンの旅ブログ

旅行ではなく旅が好き。 TOURISTではなくてTRAVELERです。 仕事をしながら時間を作っては 世界のあちこちを旅しています。 秘境・廃墟・絶景や、 その土地での人・文化・伝統との出会いを求めています。 これは旅をテーマにしたBLOGです。

東欧3カ国を巡る④ 丘の上のスピシュ城

夜行バスでスロバキア

 

アレックスとクラクフ中央駅で別れを告げた後、

次の目的地、スロバキア第二の都市コシツェまでの夜行バスを予約した。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180131171943j:plain

クラクフ中央駅近くのバスターミナル

夜行バスと言っても写真のようなヴァンでの移動となった。

あまり、観光地として人気がないのか、ヴァンに乗り込んだのは僕を含め3人のみ。

 

1人はバックパッカーのアメリカ人。

もう1人はおそらくスロバキア人。

 

※話はそれるが、いつも「スロバキア」と「スロベニア」がごちゃごちゃになる。

 

深夜0時くらいに出発して、

コシツェに到着するのは大体8時くらいなので約8時間のバス移動である。

FlixBusが安くておすすめだ(13€):

https://shop.flixbus.com/search?rideDate=01.02.2018&adult=1&children=0&bike_slot=0&route=Krak%C3%B3w-Ko%C5%A1ice&departureCity=1915&departureStation=&arrivalCity=6208&arrivalStation=&_locale=en

スロバキアのとある街でいったんバスを乗り換えた。

そこで、スロバキア人とみられる女性は降りてしまい、

ヴァンの中は僕とアメリカ人女性の2人となった。

 

彼女は中国で数年間英語の先生として働いていた経験がある。

30歳くらいだと思う。

 

ホテル、どこ?

コシツェのバスターミナルについたときはまだ日が昇る前だった。

僕はクラクフで事前にコシツェの宿を予約していた。

 

連日の安宿続きで、1日くらいはリフレッシュしようと思い、

安くてよさげな「ホテル」を手配していた。

www.booking.com

 

アメリカ人の彼女はコシツェについてから宿を手配しようと考えていたが、

あたりは暗いし、疲れているということで僕が予約している宿に宿泊できるか直接泊まれるか聞いてみるとのこと。

というわけで、2人で宿を目指すわけだだが、

宿までの道のりが果てしなかった。。

 

土地勘も全く分からないまま手配したホテル。

「デイビッド ホテル」という名前。

いかにもありふれた名前のホテルだったし、

何も疑わなかった。

 

バスターミナルに到着した後、南にあるホテルを目指して歩いた。

直線距離にして大体2kmくらいだ。

f:id:soratobuhituzikun:20180131180629p:plain

ずっとgoogle map様を見ながらどういうルートで行くか決めた。

ずっと北から南にかけて鉄道が走っており、そのすぐ横に細い道があった。

f:id:soratobuhituzikun:20180131181650p:plainこのルートだと簡単にホテルまで行けると思っていた。

 

 

が、

 

 

 

f:id:soratobuhituzikun:20180131181826j:plain

そこは道なき道で、

ひたすらやぶの中をかき分けながら進むことになった。

 

もうあと5分も歩けば正規の道にたどり着くはずだ。

そいお互い言い続け、結局2時間くらいが経ってしまった。

 

僕が選んだホテルのせいで、

アメリカ人女性には本当に申し訳ないことをしたと思っている。(わら)

 

 

 

約8時間もヴァンに揺られ、ようやくたどり着いたと思ったら

 

“これ”である。

 

 

気付いたら夜も明けていた。

 

 

ホテル自体の対応はすごくよかった。

朝8時くらいに行ったのにもかかわらず、部屋が空いてるからということで、

そのままチェックインすることができた。

 

アメリカ人女性にお互いひと眠りしようということで

それぞれの部屋で仮眠をとることにした。

 

スピシュ城ヘ!!

 

目が覚めると昼前。

実は、コシツェの街自体はあまり興味がなく、

ほかに行きたいところがあった。

 

それが、スピシュ城である。

 

コシツェからバスで1.5時間くらい行ったところにスピシュケー・ポドフラディエという

小さな村があるのだが、そこにかつてトルコ軍との戦いで活躍したといわれているフォートレス(城跡)があるのだ。

f:id:soratobuhituzikun:20180131184358p:plain

コシツェ発時刻表

 

ちなみに、正規のルートでホテルからバスターミナルまで歩いてみた。

f:id:soratobuhituzikun:20180131185236j:plain

往路はこの河原の奥の森をずーーーっと歩いていた。

写真手前は道路になっている。

f:id:soratobuhituzikun:20180131185441j:plain

広告には、「Fear the Walking Dead」が。

大好きなドラマである。

 

結果、観光のためのホテルとはかけ離れていた。

普通に歩いても、かなり遠回りすることになった。

車がないとかなりきつい場所である。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180131194203p:plain

橋作れやッ!!

 

 

 

 

 

気を取り直して、スピシュ城へ。

村自体は本当にのどかだった。

 

スピシュケー・ポドフラディエ

f:id:soratobuhituzikun:20180131185755j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180131185832j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180131185850j:plain

ここで出会った60歳くらいの日本人観光客によると、

この村はジプシー(ロマ人)が作り上げた村だという。

確かに、村人の雰囲気なんかは少しほかの街とどこか異なっていた。

 

村を探索していると、巨大なフォートレスが姿を現す。

f:id:soratobuhituzikun:20180131190206j:plain

村があって丘があって城がある。

なかなか他にはない光景だ。

f:id:soratobuhituzikun:20180131190528j:plain

もちろん中も見学できる。

フォートレスまでかなり歩くようになる。

f:id:soratobuhituzikun:20180131190703j:plain

もろこし畑の隣を歩きながら城に向かう。

f:id:soratobuhituzikun:20180131190806j:plain

やっと入り口

f:id:soratobuhituzikun:20180131190931j:plain

景色は抜群に良い

f:id:soratobuhituzikun:20180131191030j:plain

スピシュケー・ポドフラディエの村

f:id:soratobuhituzikun:20180131191112j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180131191302j:plain

城内はこの城の歴史を物語る展示物や、拷問部屋、調理場なんかも見学できる。

 

久々に期待を超える場所だった。

かなりおススメです。

 

彼女は、、、

 

この村は行くところが、スピシュ城しかないため半日観光でも全然ok

 

この後はコシツェに戻りぶらぶら散歩を楽しんだ。

f:id:soratobuhituzikun:20180131192232j:plain

物価は西欧なみに高く、通貨もユーロが使われているが、

落ち着いていてリラックスできるいい街であった。

 

ホテルに戻ると、レセプションのお姉さんに声をかけられた。

 

レ「あなたの友人が置手紙を残しています。」

 

アメリカ人の女性からだった。

 

米女「私ははやいけどこの街を出ることにしたわ。次目的地のブラティスラバを目指します。お互い旅を楽しみましょう。」

 

なんか最後までこの女性とは気まずかった。。。

 

というわけで、

僕は翌日、最終目的地であるハンガリーを目指す。

 

次回、ハンガリー編!!!!

東欧3カ国を巡る③ 顔面にツバを食らったおはなし

いざ、ビエリチカ岩塩鉱へ

アウシュビッツ見学を終えた翌日。

 

東欧旅2カ国目のスロバキアの第二の都市コシツェ行きの

夜行バスの出発時間まで何をしようか考えていた。

f:id:soratobuhituzikun:20180129212055j:plain

クラクフ市内 早朝のお散歩1

持っていった地球の歩き方ポーランド編でアウシュビッツの次に気になったのが

世界遺産にもなっている「ビエリチカ岩塩坑」であった。

f:id:soratobuhituzikun:20180129212200j:plain

クラクフ市内 早朝のお散歩2

僕は教会とか美術館系にはあまり興味がなかったので、余計目を引いた。

 

クラクフの中心地から10kmしか離れていない岩塩坑ためかなり気軽に行ける、

と思いローカルバスに乗ったが結構難しかった。

f:id:soratobuhituzikun:20180129212240j:plain

クラクフ市内 早朝のお散歩3

いろんな人のブログを見て、市内からバスで岩塩坑までの行き方を知らべた。

最終的にバスで行くなら304番のバスに乗れば岩塩坑に着くとわかり304番のバスに乗った。

 

参考にしたブログには岩塩坑までたくさんの観光客が乗っているから、

降車場所もすぐわかると書いてあったが、そのときバスはスッカスカでどう見ても観光客らしき人は片手で数えるれるくらいでその人たちが岩塩坑まで行くのかどうかも怪しい。

 

不安に思いながらバスチケットを持って座っていたが、それまで乗っていた観光客らしき人たちが皆「え、ここ?!」と思うようなバス停で降りようとしていた。

 

「もうついたのか?」

「あたりに何もないぞ」

「降りるべきか、残るべきか」

 

と一人で考えていた。(聞けばいいものを。。。)

 

結果、降りた。

 

降りて、気づく。

ここではないと。

 

バスチケットをただただ無駄にしただけであった。

そして、次のバスを待った。

 

次のバスに乗った。

やっぱり観光客らしき人はいなかった。

ただ一人地元の人じゃなさそうな欧米人が一人乗っていた。

 

車内でチケットを購入しようとすると、

車内の券売機が壊れており購入できない。

 

このままだと無賃乗車していると疑われるかも。。。とビビッていると

その欧米人が話しかけてきた。

 

?「壊れとるから払わんでええやろ。」

 

僕「やっぱり?」

 

ポーランドのバスはバス停の券売機かバス内の券売機でチケットを購入し

その後チケットを使いますというしるしを専用の機械で付ける。

定期的に「コントローラー」と呼ばれるチケットをちゃんと購入して乗車しているかチェックする係員がバスに乗ってくる。

そこでもししるしを付けたチケットを持っていないともれなく罰金が科されてしまう。

 

その男もチケットを購入していないとのことだったので、

コントローラーに見つかったときは一緒に怒られようと思い、結局購入せずに座った。

 

その欧米人の男はオーストラリア人の旅人だった。

聞けばオーストラリアで芸能活動をしているらしく、

今は時間がたくさんあるからヨーロッパを旅しているという。

アレクサンダー(以後アレックス)というやつだ。

 

格好や風貌は僕の中の「ザ・オーストラリア人」という感じ。

ぼさぼさの髪の毛と無精ひげがいい感じに決まっていて、

どこの民族衣装だとツッ込みたくなるような模様の服を4枚くらい重ね着し、

両腕には何個ものブレスレットが付けられていた。

 

まあ、苦手なタイプだった。(わら)

 

というかオーストラリア人が苦手だった。

これまで出会ったオーストラリア人が強すぎる自我と無骨さワイルドさを持っていたので、かなり苦手意識は持っていた。

アレックスもそんな感じかなと思ったら案の定そんな感じだった。

 

今回の岩塩坑旅ではこのオーストラリア人の男に振り回されることになる。

 

坑だがほろ苦い旅の経験のお話である。

 

アレックスとの出会い

 

ただ、決して悪いやつではなかった。

たまたま、アレックスも岩塩坑を目指しているということだったのでともに行動することにした。

最寄のバス停から岩塩坑までは10分くらい歩いたところにある。

行ってみると、ここもアウシュビッツみたく、個人での見学は不可で

ツアーでの見学が必須になっていた。

チケットを買って、僕たちの順番が回ってくるまで出店でソーセージとビールを買った。

 

見学ツアーの順番が回ってきてもビールが残っていたため、

僕たちはビール瓶片手に岩塩坑内を見学することにした。

 

そのときは思わなかったが今思えば

世界遺産で非常に失礼な行いである。

 

岩塩坑入り口を通過するとまず出迎えてくれるのは800段の階段である。

 

ほろよい2人には

非常にしんどいミッションだった。

f:id:soratobuhituzikun:20180129213233j:plain

階段が地下深くまで続く。

 

ここでもポイントポイントでガイドによる英語の説明を受ける。

そんななか、アレックスは思ったことをなりふり構わず僕に言ってくる。

 

アレ「このガイドおもしろくないな」

アレ「俺たちの前にいる団体のガイドのほうがおもしろそうだ」

 

そう言って、アレックスとは別行動で見学することになった。

f:id:soratobuhituzikun:20180129213217j:plain

岩塩で作られたオブジェがたくさんある

f:id:soratobuhituzikun:20180129213937j:plain

 

f:id:soratobuhituzikun:20180129214001j:plain

 

問題発生

 

階段を降りると、坑道が続いている。

マインクラフトのゲームの世界みたいだった。

f:id:soratobuhituzikun:20180129214058j:plain

途中、僕も気づいたら最初いた見学団体と1つ前の見学団体を行き来しながらマイペースに見学していた。

道中何回か休憩スポットがある。

アレックスとはいまだに別行動だった。f:id:soratobuhituzikun:20180129214137j:plain

問題はこの後だった。

 

?「ブッッッッttttttttttttttttttt」

 

僕「!?!?!?!?!?!?!?!?!?」

なんと突然見知らぬ男に顔面につばを吐きかけられた。

 

その男も観光客で最初に僕がいた見学団体の客の一人だった。

頭に血が上っておりカンカンに怒っていた。

というよりブチぎれていた。

スペインからの観光客らしく、かなりのスペイン語なまりの英語で僕に叫んできた。

 

さっきてめぇの友達にこうやって俺の顔面にツバを吐きかけられたんだよ!!!

どうなってんだ、てめぇの友達は!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

僕「アレックス。。。。」

 

どうやらその男は僕とアレックスが最初に一緒に坑内を回っているのを見ていたらしく友達だと思っていた。

思いっきり弁明した。

 

僕「そいつは、友達だけど、今日バスでたまたま出会ったやつで一緒に回っているだけなんだ。俺は関係ないんだ。(てへ)だけどごめんね。ツバを吐くなんてありえないね。もし、会ったら厳しく言うから許して。」

 

「ゆるさん。」

 

次ぎあったらぶち○してやると言わんばかりの表情でそいつはアレックスを探しに行った。

 

こうなったらもう岩塩坑どころではない。

 

僕もアレックスを探した。

 

海外での留学中にマジでキレられたのはこれで2回目だった。

1回目は、ブルガリアはソフィアの学生寮での出来事。

学生が100人近く生活する寮で、洗濯機が3つしかなかった。

基本的には、自分の選択が終わる時間になったらすぐ洗濯機から洗濯物をとり、

次の利用者が使えるようにするのだ普通なのだが、

前の人が終わってもなかなか回収しに来ない。

そこで、前の人の洗濯物を洗濯機から出していたら

その洗濯物の所有者の女がやってきた。

女「ワレなに勝手にわたしのもん持っとんねんっっっ

 

 

そこで人生初めて本気の”FUCK YOU”を言われた。

 

 

僕氏「いや、お前がとりに来るのがおせぇんだろうが!!」

 

とは言うものの、女は強い。

 

その女の洗濯物のパンティーやブラジャーなどを両手で抱え、

隣のカゴにポイッと投げているところを見られれば

もう男に勝機はない。

 

というエピソードを思い出した。

話が脱線したので岩塩坑に戻る。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180129215805j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180129215829j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180129215912j:plain

 

最後の休憩所で、ガイドとスペイン人の観光客とアレックスがもめているのを見つけた。

 

ガイドがうまくなだめたようで二人はなんとか和解した様子だった。

 

僕を見つけたスペイン人男は僕の下へ歩み寄ってきて

 

男「てめぇの友達はイカれてやがる

 

と、ジェスチャーを交えて僕に吐き捨ててきた。

 

そしてアレックスのところに行き事情を聞いた。

 

僕「何で顔面にツバなんか吐きかけるねん?!」

 

アレ

ちょっと酔っ払って、気持ちよくなって挨拶代わりのジョークだったんだけど、あの男はぜんッぜんジョークが通じないクソ野郎だった。

 

 

クソ野郎はテメェであると思った。(笑)

 

こんな感じで、オーストラリア人の問題児に振り回された1日だった。

 

帰りは一緒にクラクフ市内まで戻った。

 

バスが複雑だったので電車を使って帰った。

※バスより電車のほうがわかりやすいです。

 

ということでこれにて東欧ポーランド旅はおしまいである。

 

その夜は夜行バスに乗り、いよいよ翌日はスロバキアへ!!!!!

次回からは東欧旅2カ国目、スロバキア編に突入!

東欧3カ国を巡る② アウシュビッツで感じた当時の悲惨さ

いざ、アウシュビッツ

さて、ポーランドに到着した夜は、

コンビニでアーモンド味のウォッカの小瓶をお土産に購入。

 

ついに翌日はアウシュビッツである。

 

行き方はバスか鉄道の2種類あるようだが、

クラクフの中央駅から鉄道でアウシュビッツのあるオシフィエンチム駅まで向かった。

 

アウシュビッツ強制収容所は2種類の場所が存在する。

 

アウシュビッツ第一収容所と第二収容所である。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180129184642p:plain

 

お互いの建物は2.5km位はなれており、

この2種類の建物の行き来はシャトルバスを使えるので便利である。

最初に向かうのは、

駅から南にある収容所が第一収容所。

そこで、見学のためのチケットが購入できたり、

ガイド付きの見学ツアーの予約ができる。 

時期によっては、収容所内の見学はガイド付きでないとできないこともあるので

注意しよう。

繁忙期は、大変込み合うのでホームページなどで事前予約がお勧め。

 

公式ホームページ:Auschwitz-Birkenau

 

そのほか詳細については、

いろいろな方々が記事にしているので参考にしてほしい。

witam-pl.com

 

オシフィエンチムの駅に着くと第一収容所まで15分ほど歩くことになる。

町の雰囲気はかなり田舎の住宅街。

 

収容所の周りには基本的にはなにもない。

第一収容所の隣に小さなレストランがあるだけ。

 

受付で英語ガイドの見学ツアーの予約をした。

30分くらい待ち、セキュリティーチェックを受け、いざ見学へ。

 

英語ガイドによる見学

 

15分おきくらいに20名ほどのツアー団体が出発していく。

f:id:soratobuhituzikun:20180129191652j:plain

 Arbeit macht Frei "

(アルバイト マハト フレイ)

=「働けば自由になれる」

 

見学のスタートはこの正門から。

収容者に待っているのは自由なんかではなく、地獄であった。

 

ここで初めて「アルバイト」という言葉がドイツ語からきたことを知った。

f:id:soratobuhituzikun:20180129192247j:plain

 

後ろを振り返ると次のツアー団体が。

 

このときはちょうど八月で繁忙期になるためかなり観光客は多かった。

f:id:soratobuhituzikun:20180129192535j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180129192555j:plain

ポーランド人による英語のガイド。

2枚目の写真は、収容所につれてこられた人が、振り分けられている様子。

働けるものか、そうでないか。

働けないとわかればガス質に連れて行かれる。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180129193041j:plain

みせしめのために多くの者が射殺された場所。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180129193156j:plain

逃げることもできなかった、柵には電流が流れていた。

f:id:soratobuhituzikun:20180129193301j:plain

 

f:id:soratobuhituzikun:20180129193320j:plain

ガス室

多くの子供、女性、病人、ゲイが殺された。

ガス室の処理をするのも収容所で働かされていた強制労働者だった。

 

 

続いて、第二収容所へ。

シャトルバスで移動する。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180129193658j:plain

通称、地獄の門

f:id:soratobuhituzikun:20180129193803j:plain

何十時間も狭い貨物車に入れられ、この収容所につれてこられる。

「シャワーを浴びれる」と言われ、連れて行かれるのはガス室であった。

f:id:soratobuhituzikun:20180129194030j:plain

修学旅行中のイスラエルの学生たち。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180129194115j:plain

当時、この貨物車ひとつに100人の労働者が乗せられていたという。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180129194205j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180129194228j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180129194314j:plain

本当にのどかな場所で、約70年前に、そんな悲惨なことが行われていた場所団なんて想像できない。

f:id:soratobuhituzikun:20180129194437j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180129194452j:plain

当時、収容者が寝ていた場所。

この狭いところに1区画に3,4人が寝ていた。

f:id:soratobuhituzikun:20180129194552j:plain

 

とまあこんな感じで、3~4時間くらいの見学だった。

 

薄っぺら意気地になりそうなのであえて感想は書きません。

それぞれが何かを感じることができる場所です。

 

翌日は、クラクフからバスでビエリチカ岩塩鉱に向かいます。

 

東欧3カ国を巡る① 片道27時間のバスに揺られてどこへ行く

BEFORE THE JOURNEY

さて、今回の旅の記録は、ブルガリア留学時代の夏休み、一人旅で

 

ハンガリースロバキアポーランドの3カ国の旅である。

 

長い夏休みの期間いろいろなところへ旅をした。

 

その中で、一番移動時間の長いバスに乗ったのが今回の旅である。

 

ブルガリアからポーランドまで バスで27時間。

 

ブルガリアからトルコまでの5時間ほどのバスでヒーヒー言っていたのに、

27時間となると想像を絶するものとなった。

 

ルートは

 

ブルガリア 

 

→ ポーランド 

 

→ スロバキア 

 

→ ハンガリー 

 

→ ブルガリア

 

※復路ハンガリーからソフィアは寝台列車、それ以外はバス移動

 

f:id:soratobuhituzikun:20180119181215p:plain

旅の第一の目的は、ポーランドアウシュビッツ収容所を見学することだった。

ちょうどアウシュビッツと広島・長崎の原爆の悲劇が重なって、留学中は1度は以降と決めていた。

それに、その年は広島に原爆が落とされて70年目にあたっていた。

 

どうせポーランドまで行くなら道中も楽しみたいとのことで、特にぱっとしたもののないスロバキアと温泉で有名なハンガリーの首都ブダペストに行くことにした。

 

出発前にブルガリアに留学していたポーランド人に一番安い方法で

ポーランドに行く方法を聞くとこのサイトが安いよとのことで教えてもらった。

www.sindbad.pl

ただ現在このサイトでは、ソフィアからポーランドのクラコフまでのバスの運行はなくなっていた。安すぎたのかな?

セール価格で20ユーロ。大体の相場は70ユーロくらいが片道の料金である。

 

アウシュビッツについて調べているとどうやらポーランド人でもなるのが

難しいアウシュビッツのガイドに日本人が働いているとのこと。

中谷さんという方で直接メールも送らせてもらったが、

ちょうど先客がおり無理だとのことだった。

普段の旅では英語のガイドで全然問題ないのだが今回ばかりは

言っていることを100%理解したいと思い、日本語ガイドを望んだがかなわず。

 

2015年8月 ポーランド

 

ブルガリアから一番近い国がハンガリーであったが、

一番遠いポーランドから旅をスターとさせることにした。

 

ソフィアから27時間のバスである。

道中、セルビアを通過するのだが、この国はEUの非加盟国のためブルガリアハンガリーのそれぞれの国境沿いでは入国&出国手続きのため真夜中でもお構いなしにバスから降ろされパスポートチェックと荷物チェックがある。

旅慣れていない最初のころはなんだなんだと思いあたふたしていたが、

今となっては慣れたものだ。

※手続きは15分から1時間くらい。車の込み状況によってはかなり待たされることになる。

 

東欧にきたら結構な確立で、バスでは隣の人に声をかけられる。

日本人がかなり珍しいからだ。

しかも、その人がおじいちゃんやおばあちゃんだった場合はほぼ間違いなく話しかけられるので要注意。(笑)

 

今回も声をかけられた。

「どこから来たの?」

「何を勉強しているの?」

ブルガリア語はわかる?」

なかなか寝させてくれない。(笑)

 

今回にいたっては近くにそのおじいさんの家族も乗車しており、

会話がどんどんどんどん車内に広がってしまった。。。

 

「おー!日本人の学生か!!」

「すごいな!!」

 

みたいな。(笑)

そんなおじいさんの孫に当たる二人の女の子と仲良くなった。

二人ともソフィア出身の高校生である。

ハンガリーブダペストを旅行するという。

f:id:soratobuhituzikun:20180119193959j:plain

二人の女の子。記念に1枚。

見てわかる通り、
上の写真はセルビアハンガリーの国境でとったものだが

ほとんど寝るれていないため顔がかなり疲れている。。。

 

まあしかし、まったく話しかけられないよりかは

話かけてもらえるほうがありがたいと思ってる!

 

そんなこんなで27時間が経った。

セルビアベオグラードハンガリーブダペストスロバキアのブラティスラバを経由しポーランドのクラコフにたどり着いた。

目的のアウシュビッツはクラコフからバスで少し行ったところにあるので

その日は予約しておいたゲストハウスに荷物を置きに行く。

クラコフに到着したときが昼前くらいだったので、疲れてはいるものの

アウシュビッツまでの行き方と市内を少し探索することにした。

www.booking.com

 

街を歩いてみるとびっくり。

ずっと東ヨーロッパを旅していたので、

東欧=黒ずんだコンクリート作りの味気ない街並み

という印象が強かった。

しかし、クラコフは西欧風の建物が多い。物価も安いし、食べ物もおいしい。

かなり気に入った。

f:id:soratobuhituzikun:20180119202204j:plain

 

f:id:soratobuhituzikun:20180119202314j:plain

 

f:id:soratobuhituzikun:20180119202412j:plain

 

f:id:soratobuhituzikun:20180119202455j:plain

 

f:id:soratobuhituzikun:20180119202528j:plain

 

f:id:soratobuhituzikun:20180119202548j:plain

 

f:id:soratobuhituzikun:20180119202617j:plain

 

 

f:id:soratobuhituzikun:20180119202703j:plain

ロシアやジョージアポーランドにも餃子のような食べ物がある。

皮の厚さや中身はそれぞれの国の特徴があって面白い。

 

中国から伝わってきたのかな?

 

 

翌日はバスでアウシュビッツへ!!

 

東欧3カ国を巡る②に続く

海外で殺されかけた話

面白いばかりが旅ではない。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180116151524j:plain

 

時には僕の知識不足から殺されかけた経験もある。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180116151625j:plain

 

そんな、死と隣り合わせとなった体験を綴っていこう。

 

ヨーロッパのサッカーファンは独断で半分以上の人がクレイジーである。

それにかなり迷惑なクレージーである。

 

ブルガリアのソフィアに留学をし始めてすぐ、

イタリア人の友達がブルガリアリーグの試合を見に行こうと誘ってくれた。

 

観戦チケットも500円くらいだったと思う。

 

CSKソフィア VS レフスキソフィア

 

どちらも首都・ソフィアのチームである。

 

試合前。

f:id:soratobuhituzikun:20180112190211j:plain

 

KICK OFF。

f:id:soratobuhituzikun:20180112185715p:plain

 

2分後。

f:id:soratobuhituzikun:20180112190140p:plain

 

f:id:soratobuhituzikun:20180112191335p:plain

戦争である。

 

トルコなどの近くの国ののサッカーチームのユニフォームを着てソフィアの街を歩けば

必ず友達に忠告されていた。

 

友「お前、殺されるぞ」

 

そんなわけはないと、思っていた。

試合ではちょっと熱が入ってはっちゃけるくらいだと思っていた。

人間みな根は良い人というのが僕の頭の中にはあった。

 

そんなこんなで、特に何もなく、留学生活は約一年後の最終日の前夜を迎える。

友達の忠告を何度も受けるも、守らなかった。

 

その日はレフスキソフィアのニット帽を身に着ていた。

僕自身、サッカーが好きなだけである一つのチームに執着して応援しているというわけではなかった。

f:id:soratobuhituzikun:20180116150828j:plain

 このニット帽にはサッカー以外の思い入れがかなりある。

1年の留学が終わる間際になると多くの友人がパーティーを開いてくれたり

プレゼントを用意してくれたりしていた。

 

この帽子もそのプレゼントの一つで、サッカー好きな私のために

わざわざ購入してくれた代物である。

 

日本帰国前夜。

 

その日もブルガリア人の友人が最後レストランで集まって食事をしようと誘ってくれた。

皆仕事やなんやかんやで忙しいのにもかかわらず集まってくれるというのでワクワクしていた。

 

学生が多く暮らすスツデンスキグラッドというエリアのレストランだった。

僕が暮らしていた寮もそのエリアにあったためバスを使って15分の距離だ。

 

集合時間に合わせて寮を出てバスに乗る。

 

その日はあのニット帽を身に着けていた。

 

レストラン近くでバスを降りる。

 

 

がばッ

 

 

僕「??????????????????????????

 

いきなり後ろからニット帽をはぎ取られた。

 

 

 

そいつは、バスの中で後ろからずっと僕のことを睨んでいた25歳くらいの若者だった。

最悪なことに右手にはビール瓶を持っており、目は血走っていた。

 

※日本人自体ブルガリアには少ないため物珍しそうに

見てくる人たちは普段からたくさんいた。

その男もそういう人たちの一人だと思って気にしなかった。

 

 

男「おれがコイツを捨ててやる

 

 

右手にビール瓶、左手にニット帽を持ったその男は僕に言ってきた。

 

最初は新手のブルガリアジョークかと思った。

 

僕「返してくれ。これから約束があるんだ

 

男「無理。

 

僕「?????????????????」

 

男「お前このチームが好きなのか?

 

僕「僕はサッカーが好きなだけだ。このチームに深い思い入れなんてない。

 

返答によっては大変なことになるだろうなと思いながら、

言葉を選びながら話した。

 

男「じゃあ捨ててやる(即答)

 

僕「それは僕の大切な人からもらったプレゼントなんだ。はよ返せや。

 

言葉もだんだん汚くなっていく。

 

男「俺はこのチームが大っっっっ嫌いなんだ。

  プレゼント?こんなのたった500円で買えるだろ。

  捨ててやるよ。

 

もう何を言っても通じなかった。

彼は僕が身に着けていたレフスキソフィアのライバルチームであるCSKソフィアの熱狂的なファンであった。

沢に悪いことに酒+何かマリファナでもやっていたのだろう目が血走っていた。

 

そこで素直に帽子を渡して引き下がれば

そのキチ〇イ野郎とは何もなかったが

せっかくのプレゼントだったし

日本人だから舐められている気がして食い下がった。

 

何を言っても無駄だと思った。

 

 

がばッ

 

 

今度は僕が男が左手に握っていた帽子を思い切り引っこ抜いた。

 

 

 

・・・・・走った。

 

 

ビール瓶持って男は走ってくる。

 

僕はうまく走れない。

その時、初めて普段クツひもを結んでいなかったことを後悔した。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180116154825j:plain

 

追いつかれる。

 

男「コラ

 

自慢の筋肉でがっしり僕の腕を掴んでいた。

 

友達との約束の時間は15分は過ぎており、

そのうちの一人から電話があった。

 

友「今どこ?

 

僕「今ちょっともめてる。すぐ行くから待ってて!!」

 

心配をかけたくなかった。

助けてと言ったら、その日の集まりはまずなくなるだろう。

だから、待っててとしか言わなかった。

 

男「帽子わたせ」

 

僕「やだ」

 

男「わたせ」

 

僕「無理」

 

こんなやり取りが10分は続いた。

 

周りの通行人は誰も助けてくれない。

なんせ喧嘩なんて日常茶飯事のエリアだったし、

厄介ごとに巻き込まれたくないのか

僕がブルガリア語の通訳を求めて英語を話せる人はいないかと手あたり次第

声をかけていたけど、無視、無視、無視。

 

なんと冷たい国だと思った。

 

その時、アホメッドという年末年始に一緒にイタリアを旅するくらい

仲の良かったチュニジア人の親友が通りかかる。

 

ア「やあ翔太。」

 

直会いたくなかった。

もめてる姿なんて見せたくなかった。

 

ア「友達かい?」

 

僕「NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!」

アホメットにこれまでの経緯を話した。

 

だがこのままではアホメッドまで巻き込んでしまうと思い

また走った

 

体力には自信があった。

 

その男は酒も飲んでいたしあんまり追いかけてはこないだろうと思っていたが、

体力は結構あった。

 

少し路地をそれると真っ暗な場所にでる。

そこで捕まってしまえばマジで何されるかわからんと思い

大通りを逃げた。

 

すぐ捕まる(笑)

 

逃げながらいろんなことを考えた。

保険に入っているからケガしても大丈夫かな。

でも喧嘩って補償対象外だったような。

もしケガして飛行機乗れないと振り替えた飛行機の代金とかどーなんの。

じゃあやっぱりケガしないほうがいいな。

よし、暗い所に逃げるのはやめよう。

 

「分かった。渡さないのなら仲間を呼ぶ。

 今は俺だから何もしないままでいるが、

 俺の仲間は俺みたいに優しくはない

 ぞ。」

 

 

 

呼べよ

 

何の映画を見せられているのだと思った。

こういうシーンはいろんな映画でたくさん見てきた気がする。

 

おもむろにケータイを取り出し電話しだした。

ブルガリア語だから何を話しているかわからなかったが・・・

 

その瞬間にこっそり靴のひもを結んだ。

 

次が最後のRUNになると心に決めた。

 

5分くらい経ち、男はケータイを確認し、

歩道から道路に顔を出し仲間に自分の位置を知らせるような素振りをした。

実際に仲間が来たかどうかは確認していないが

これはチャンスと思い目を離したすきに思い切り逃げた。

 

今度は靴ひももきちんと結ばれていたため一気に突き放した。

 

大通りだとどこまで逃げても同じなので、

今度はあえて人のいない真っ暗い路地裏に逃げ、

連立するアパートとアパートの間に隠れた。

 

途中まで男が追いかけてくるところが見えたが

なりふり構わず逃げていたため

どこまで追いかけてきていたか分からない。

 

ここで捕まったら絶対に殺されると思いながら

5分間潜んでいた。

 

そしてさすがにもうあきらめたかなと思って

一気に待ち合わせのレストランまでダッシュした。

 

皆心配してくれていた。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180116161537j:plain

 

最後はブルガリア料理をみんなで楽しんだ。

 

僕電話を確認するとアホメッドから何回も

心配して着信が入っていた。

メッセージには、

大丈夫か。今どこだ。心配だから警察を

 呼んだよ。

 

と書かれてあった。

 

すぐ、お礼の電話をした。

 

ありがとうアホメッド。。。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180116161952j:plain

アホメッドとは次の日、

フライト時間ぎりぎりまでチャイを楽しんだ。

 

フゴのボールはアホメッドに引き継いだ。

※前回ブログ参照

tabizukijordan.hatenablog.com

 

FACEBOOKにこの出来事を投稿すると

たくさんのブルガリア人の友達が声をかけてくれた。

 

実はブルガリア人のサッカーに対するクレイジーさはヨーロッパでは有名で

クレイジーなサッカーファンが人の命を殺めてしまった事件は映画にもなっている。

 

今回何もなくてほんとに良かったが

今回一番伝えたいことは

 

 

靴ひもはちゃんと結ぼう

 

 

である。

ヒッチハイクでブルガリア横断した話 (読みきり)

JOURNY IN THIS TIME

ブルガリアへ留学中、2月ほどある夏休みの間にドイツ人のパトリックという友達とヒッチハイクブルガリアを横断する旅をした。

 

僕にとってそれまでヒッチハイクなんて日本でも行ったことがなかった。

 

今回はパトリックとともにヒッチハイクブルガリアを横断する旅のお話である。

 

その旅は僕の考え方や価値観を一気に変えてしまった旅となる。

 

これまでの旅で一番印象的な旅である。

 

2015年06月初旬 旅のきっかけ

 

留学先のソフィア大学が夏休みに入った。

次のセメスターが始まるまで2か月ほどあるため、日本の大学よりもはるかに多い休みとなる。

当時僕は海外の留学生が集まるドミトリーで生活をしていた。

ほとんどの留学生は半期しかいない。丁度、夏のセメスターから冬のセメスターに代わる夏休みはドミトリー内の留学生たちがほとんど総入れ替えとなる。

 

僕は、ソフィア大学に1年間留学するため、夏のセメスターで出会った学生を見送り、

新しく来る学生を迎え入れる立場にあった。

 

そんな中、夏のセメスターで知り合ったドイツ人のパトリックが一人でブルガリアを旅する計画を練っているのを知った。

 

彼とは夜ほかの仲間たちとよく飲みに行ったり、サッカー観戦や実際に一緒にサッカーをする仲であった。

f:id:soratobuhituzikun:20180110192659j:plain

サッカー観戦

f:id:soratobuhituzikun:20180110192843j:plain

とあるバーにてフーズボールを楽しむ

彼は僕にとってみるとお兄さん的な存在で 

世界の政治、貧困、経済に関して学んでいたこともあり

「そんなことも知らないのか」とよくいろんなことでからかわれていた。

 

そんなパトリックがブルガリア横断旅に僕を誘ってくれた。

パトリックも夏のセメスターで留学が終わるため、夏休みの間に東アジアを旅をして、母国のドイツへ帰るという。

 

パ「ブルガリアのUFOって呼ばれている場所を知っているか?」

パ「そこまで行こうとしている。一緒に行こう。」

 

UFOと聞いて頭が「?」となった。

 

僕「どこにあるの?何それ」

 

写真を見せてもらうと山のてっぺんに、本当にUFOみたいな建物があるではないか。

 

※かつてブルガリア共産党時代に国力を示すものとして建てられた建物で、国際的な会議などが行われる場として使われたが今は正面入り口は閉ざされ、中は朽ち果て廃墟と化している。今回の旅では訪れてはいないが、別日に内部を探索しているのでまた違う記事にできたらと思っています。。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180110214703j:plain

 

www.youtube.com

※今回の旅ではUFOには行ってません。画像・動画は別日に訪れたものです。

 

僕「すげー!いくわ!!(笑)」

 

だが、ヒッチハイクで行くと言っていたため、その日は断った。

 

ヒッチハイク=危ない

 

こういった固定観念が決断の邪魔をした。

 

パトリックから学べることはこれまでにもたくさんあった。

心のどこかで彼をリスペクトする自分がいたため、

ヒッチハイクに対して「怖さ」はあったが挑戦することにした。

 

「ヨーロッパでは普通だぞ。怖くない。交通費節約できるで。」

 

2016年06月初旬 旅の準備

 

出発に向け、意気込んでいる自分がいた。

 

パトリックと空いた時間に旅の計画を練る。

 

まずは行先と宿探し。

ブルガリアのリゾートと呼ばれる黒海に面した街ブルガスを目指し、

旅をすることにした。

実はほかに仲の良かったスペインと日本の友人3人がまだ大学のテストが残っていたため

夜行バスを使ってブルガスで落ち合うことにした。

ソフィアとブルガスはブルガリアの西と東。

距離で言えば400KMくらいだろうか

車で行けば5時間はかかる。

広島から京都くらいの距離だ。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180110185519p:plain

 

僕たちは最終目的地をブルガスにして、途中ブルガリア中央のヴェリコ・タルノヴォから南に行ったところにある、UFOの建物、ブルガリア共産党ホールに行って、バルナに行き、ブルガスを目指すことにした。

 

旅費をとことん抑えるため、カウチサーフィンで宿を探そうとした。

 

※カウチサーフィンについて👇

tabizukijordan.hatenablog.com

UFOに行くには、シプカという小さな村があるのだが、

そこが一番近かったためホストを探したが見つからない。。。

タルノヴォやバルナ、ブルガスでも探したが、

旅行中は、すでにほかのゲストを迎えるか、用事があるとのことで宿が見つからなかったため、ゲストハウスを予約した。

 

次にどのルートで最終目的地であるブルガスを目指すか。

僕たちは本屋さんでブルガリアの地図を購入し、机の上に広げ検討した。

その時に教えてもらったのが「ヒッチWIKI」。

ヒッチハイクには欠かせないツールの一つで、別記事で詳しく記載してるので参考あれ。

tabizukijordan.hatenablog.com

どこからヒッチハイクを始めるか、どのルートでUFOを目指すか。

いろいろ考えながら計画を練る。

 

僕も何かできることがないか考えていた。

そうだ、ヒッチハイクといえばでっかい段ボール!!

車から見やすいようにでっかいのを拾おう!

ヒッチハイクをしている男性のイラスト

ヒッチハイク=でっかい段ボール

 

ゴミ箱をあさってまさに上の絵みたいな大きな段ボールを見つけてパトリックのもとへもって行った。

 

びりびりっっっっっtttttttt......

 

パトリックは僕の段ボールを4分の1の大きさにした。

それに、かなり雑に。(笑)

 

パ「ヒッチハイカーを乗せようとするドライバーは、ヒッチハイカーを乗せたいから止まってくれる。行先を確認するのはそのあとだ。だから、小さくていい。邪魔だろ。」

 

僕「なるほど」

 

まあ、ドイツ人は合理的というかなんというか。。。

 

そして僕たちはヒッチハイク当日を迎える。

 

2016年06月18日 ヒッチ当日

 

・・・・あいにくの雨である。

 

僕たちはまずは、高速道路の入り口手前の開けた場所まで地下鉄とバスを乗り継ぎ向かった。

 

段ボールにはブルガリア語で「Казанлъ̀к(カザンラク)」と書き、車を待った。

実はこの町はバラで有名で年に1度のバラ祭りではバラの嬢王を決めるコンテストが開かれる。

さすがにシプカは小さな村になるので、少し離れたカザンラクから、

まずはUFOを目指す。

 f:id:soratobuhituzikun:20180110195349j:plain

小雨の中、僕たちは15分交代でヒッチハイクをする。

 

パ「大切なのは笑顔だ」

 

そう助言してくれた。

 

段ボールは雨に濡れてふにゃふにゃである。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180110194456j:plain

旅人自体少ないソフィア。

そう簡単には車は止まってくれない。

 

ましてや、こんな雨にさらされている若造二人を乗せてくれる人なんて現れるのだろうか。

 

15分が2回、3回と過ぎていった。

 

笑顔が大切といったパトリックは笑っていない。

f:id:soratobuhituzikun:20180110195232j:plain

・・・よく見たら笑っていた。(笑)

 

彼もまた僕と同じで、普段は無表情。

f:id:soratobuhituzikun:20180110195448j:plain

 

30分くらい待ってみて、一向に車が止まらなかったため、

行先を「Велико Търново(ヴェリコ・タルノヴォ)」に変えた。

ブルガリア第三の都市である。

この街は、琴欧州の故郷だ。

 

写真のサッカーボールはフランス人の友人フゴから受け継いだもので

暇なときはパトリックとサッカーをしようということで持って行った。

 

地味~に場所を変えながら試行錯誤を繰り返し、

やっと1台の車が止まった。

 

ドライバーは英語が話せない純粋なブルガリア人だった。

 

僕たちは一気にヴェリコ・タルノヴォまで行った。

 

第三の都市 ヴェリコ・タルノボ

 

タルノヴォの中心地で降ろしてもらい、まずはゲストハウスへ荷物を預けにいく。

f:id:soratobuhituzikun:20180110203055p:plain

ゲストハウス地図

www.booking.com

この街の見所はおもむきある旧市街。

かなり特徴的なのは、

旧市街の中心にはアッセン王の大きな銅像があり、それを囲うようにヤントラ川が流れる。そしてさらに川の外側の山の斜面には旧市街の建物が連なる。

f:id:soratobuhituzikun:20180110201247j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180110215859j:plain

かつてはブルガリアの首都だったこ歴史もあるタルノボ。

街歩きはかなりおもしろい。

街のあちこちには落書きやオブジェがある。

f:id:soratobuhituzikun:20180110202028j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180110201832j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180110201828j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180110202041j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180110202047j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180110203356j:plain

コミュニスト=テロリスト」

中には、ブルガリアの政治批判を訴える落書きも。

f:id:soratobuhituzikun:20180110202034j:plain

この気持ち悪い人形は「クケリ」といって、厄払いの神様である。

毎年行われる収穫祭でこのクケリの衣装をまとった人たちが街に繰り出す。

かなり不気味である。

f:id:soratobuhituzikun:20180110202357j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180110202524j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180110202652j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180110202012j:plain

夜のアッセン王。

地元の人のデートスポットになっているようだ。

f:id:soratobuhituzikun:20180110202530j:plain

夜は、パトリックに連れられビリヤードに挑戦。

人生初となるビリヤード。

f:id:soratobuhituzikun:20180110202738j:plain

たくさん楽しんだ後はゲストハウスの庭で晩酌。

翌日の計画を立てる。

 

このタルノボだが、実はこの旅の2週間後くらいにまた訪れることになる。

というのも、ソフィア大学が夏休みの間、だらだら長い休みを過ごすのも

無駄なので、タルノボ大学が主催するブルガリア語・文化セミナーに参加することになっていた。滞在期間は1ヶ月。タルノボ大学の寮に入る予定だった。

今回の旅はその下見となった。

 

スペインと日本の友人とブルガリアのリゾート、ブルガスで合流するまであと3日。

 

ブルガリアにはリゾートと呼ばれる街がもうひとつある。

バルナという街だ。

 

彼らと合流するまでにバルナを訪れておきたかったため、日程的な問題や、

ヒッチハイクでいける可能性が低いUFOの建物を訪れるのは止め、

そのままバルナを訪れることにした。

 

ゲストハウスには20才くらいのイタリア人カップルが宿泊していた。

ドミトリーの6人部屋に僕・パトリック・イタリア人カップルの4人が泊まっていた。

 

翌日。

 

2015年06月19日 ブルガリアのリゾート、バルナへ

 

朝は強い方だったので、誰よりも早く起きた。

 

気付いたら、イタリア人カップルは二階建てベットの1段目に2人で寝ていた。

その彼女は髪の毛を銀色に染めており顔も結構かわいかった。(笑)

 

そのままシャワーを浴びて、歯を磨き、部屋に戻った。

 

 

 

その彼女が真っ裸で立っていた。

 

 

僕「OOOOOOOOOOPS!!!!!!」

アイムソーリーと言って、2秒で開けたドアを閉めた。

彼女は丁度服を着替えていた。

 

女「It' OK. 気にしないで。」

 

と言って暖かく僕を迎え入れてくれた。

ゲストハウスはこういったハプニングがあるのでやめられない

こんなことを書いていては何のブログかわからなくなってしまうのでこのあたりでイタリア人のお話はお終い。

 

ゲストハウスのスタッフと話し、ヒッチハイクに丁度いい場所を教えてもらった。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180110223028p:plain

赤丸部分。そこが丁度、タルノボの街を出てバルナ方面に行く車が通る場所だということだ。

橋の手前で僕たちは2度目のヒッチハイクをした。

 

15分の2セット目でいきなり車が止まってくれた。

 

今回乗せてくれたのはイケイケのタルノボ女子2人組。

 

彼女たちもバルナへ行くとのことなのでご一緒させてもらうことにした。

 

かなり荒い運転をしながらバルナを目指す。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180110223738j:plain

 

お茶目なパトリック。

NO SHUMENSKO NO LIFE.

ソフィアに留学していた僕たちはシュメンという町のシュメンスコというビールをいつも飲んでいた。その町の標識に「NO」のサインが書かれていたので、そんな「シュメンスコのない生活ありえない」ということでぱしゃり。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180110224747j:plain

バルナ到着。

肌寒くて泳ぎはしなかった。

 

夜は海沿いはクラブやバーが一斉に盛り上がる。

海外のリゾートといったところだ。

 

この街は2014年に津波が町を襲った。

13人の人々が亡くなった。

人々が不正に家を建てたり、排水システムの管理の怠惰からこのような被害を被った。

当時の状況を伝える写真展にも立ち寄った。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180110225237j:plain

この町の落書きも、タルノヴォ同様アーティスティック。

f:id:soratobuhituzikun:20180110225331j:plain

黒海に面している町なのでカモメがいる。

 

夜はローカルなレストランを探した。

 

翌日は、世界遺産都市にもなっているネセバルという小さな黒海に面する町を目指すことにした。

 

翌日。

 

2015年06月20日 ネセバルからブルガスへ

 

この旅3度目のヒッチハイクネセバルを目指す。

場所的には丁度、バルナからブルガスに行く途中にある。

 

世界遺産にもなっているため、せっかくだし行ってみようかという感じで行ってみた。

f:id:soratobuhituzikun:20180110230557j:plain

ダンボールの表にはネセバルと書きヒッチハイク

f:id:soratobuhituzikun:20180110230714j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180110230735j:plain

今回も30分ほどで車に乗れた。

最初ヒッチハイクにビビッていた自分が情けない。

道中はロシアのロックンロールがガンガン流れていた。

f:id:soratobuhituzikun:20180110230445j:plain

黒海沿いは大小様々な都市や町がリゾートとして動いている。

その中でもバルナ、ブルガス、ネセバル、ソゾポル、アルベナは人気のリゾートだ。

 

ネセバル世界遺産都市にもなっていて、町が小さな島のようになっている。

f:id:soratobuhituzikun:20180110231209j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180110231744j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180110231242j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20180110231307j:plain

まああまり世界遺産には興味がない僕たちなので、

先を急ぐことにした。

 

4回目のヒッチハイク

ついにブルガスを目指す。

 

今回は初日同様雨が降り出してしまった。

しかし、ドライバーが雨に打たれながらヒッチハイクしている僕たちを心配してくれ、ものの5分ほどで乗車。

人間みんな優しい。

 

ついにブルガス。

f:id:soratobuhituzikun:20180110231933j:plain

ここまでくるとどこのリゾートも同じに見えてくる。(笑)

 

翌日はついに寮の仲間と合流する。

 

その日は町を探索し、食費を節約するためスーパーで野菜を買い、

ゲストハウスで調理した。

 

WHAT MADE ME CHANGE

 

この旅で分かったことは、

パトリックはスマホを持っていない。

ケータイはPHSのような、通話しかできないようなケータイ。

僕が道中、スマホGOOGLE MAPで確認しながら行きたいところまでのルートを見ていたら、「それ使わずに行こう」と言ってきた。

紙の地図があったためそれであちこち歩いた。

 

彼曰く、GOOGLE MAPやナビで目的地まで行くと、「目的地」までしか行けない。

目的地までは、スマホにとらわれ例え途中何か気になる場所、店があったとしても生気のルートではないから行かないだろう。紙媒体であれば、もし何か面白そうな道や店があったときふらっと立ち寄れる。ほとんど前を向いて歩くから、小さな変化にもすぐ気付くことができる。GOOGLE MAPは便利だが大切なことを忘れがちである。

 

また彼は極端に写真を撮りたがらない。

 

写真も、旅が写真を撮るための旅になってしまったら非常に心が貧しい。

本当に感動できる場面、美しい場所、圧倒されるシーンというのは

フィルムに収めなくても何年たっても記憶しているものだから。

 

彼のセオリーが妙に僕に刺さった。

僕の「何か」を変えた。

 

彼のルールでこの旅を楽しむことにした。

だから終盤はあまり写真がないのだ。

 

翌日僕たちは無事合流した。

 

リゾートを満喫した後、僕と日本人の友人Tとともに夜行バスでソフィアへ帰った。

スペイン人は東アジアをこのまま旅をするとのこと。

パトリックは、そのとき丁度パトリックの彼女がトルコのイスタンブールを旅行しているというので、ブルガスからイスタンブールまで一人でヒッチハイクで行くという。

ただ、国境を越えるので、さすがにヒッチハイクだとどうなるかわからないと心配していたが。。。

 

パトリック

 

彼は僕の留学中に、もっとも僕を変えた一人である。

 

おまけ

 

ソフィアに帰り、数日後、パトリックからメッセージが届いた。

 

f:id:soratobuhituzikun:20180110234745p:plain

 

僕たちがブルガリア横断中に撮った写真がほしいとのこと。

やっぱりもっと写真撮っとけば良かったと思っているのでは?と想像し

微笑ましくなった。

 

彼の口癖は

 

JUST SPONTANEOUSLY” (ただやりたいと思えば)

 

飲みに誘ってくれるときも

イベントごとを開くときも

そして

ヒッチハイクやろうと言ってくれた時も

この言葉を使った。

 

本能のままに、やりたいことをやりたいと思ったときにやる。

 

彼と旅をして良かった。

 

ヨーロッパで一番標高の高い村へ行ってきた話② ―ジョージア(旧グルジア)トビリシ―

さてさて、

ディトとのジョージア旅だが、

首都トビリシを夜21:00くらいに出発。

 

小さなマイクロバスに満席状態で詰め込めれそこから

ヨーロッパ一標高の高い村ウシュグリを目指す。

 

トビリシのメインストリートを歩いてみても

ウシュグリ行きのツアーの代行手配しますよ見たいな看板はたくさんあったが

今回はディトが地元大学生が主催する格安のツアーに予約してくれた。

 

英語のツアーなどではないがディトがいてくれて話す人はいるし、

「日本人」という普段見慣れないやつがほかのジョージア人に混ざってツアーに参加していたためいろいろ話かけてくれる。

 

英語の能力は日本人とほぼ同じで、大学生でも簡単な英語をつなぎ合わせながら

会話していく。

 

僕の独断と偏見だが

ジョージア人女性はかわいい。

 

アジアの地とロシアの地が丁度いい感じの割合で混ざっていて

絶妙な美しさを持ち合わせている。

 

トビリシからウシュグリまでは10時間ほどかかる。

 

f:id:soratobuhituzikun:20171224172425j:plain

今回のツアーでは、途中メスティアという村を中継地点にし、1泊し翌日ウシュグリを目指す。

 

道中はオフロード。

 

常に道は凸凹しているしくねくね曲がる。

 

またジョージア人は大の酒好きである。

ジョージア蒸留酒「チャチャ」を持ち寄って、バスの中でパーティーが始まる。

 

山道に入り、標高が高くなってくると石造りの10メートルくらいの塔がいくつも見えてくる。

f:id:soratobuhituzikun:20171224172112j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20171224172121j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20171224172130j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20171224172203j:plain

小さな村が点々としており、一家に1つ、その塔は建てられる。

小さな村も探索しながら、7時間ほどかけてメスティアに到着。

 

f:id:soratobuhituzikun:20171224172217j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20171224172255j:plain

ジョージアで有名なアルペニストなどの歴史展示博物館のようなところがあったり、

炭酸水が湧き出るポイントがあったりする。

f:id:soratobuhituzikun:20171224172928j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20171224172912j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20171224172335j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20171224172325j:plain

牛や豚などの家禽動物たちがそこら中をのそのそ歩き、のんびりした村だ。

 

f:id:soratobuhituzikun:20171224172344j:plain

夜は参加者みんなが集まって、BBQ。

f:id:soratobuhituzikun:20171224172403j:plain

f:id:soratobuhituzikun:20171224172415j:plain

ディトがジョージア式のBBQを僕に見せてやると言っていた。

炭もコンロもないので、準備は本当に1から。

 

いい感じの石を拾い台を作る。

枯れ木をそこら中から集め、砕き、火にかけ炭を作る。

手作り木炭がそれぞれ空気を入れると真っ赤に光ってきたら

具材の投入である。

この1から作るというのがジョージア式だそうな。

ワインやチャチャで乾杯し記憶が飛ぶぎりぎりまで飲んだ。

 

BBQ後は主催者側のサプライズで、点燈上げが行われた。

コーカサス山脈の山々に囲まれた小さな村で

幻想的な夜を過ごした。

 

翌日。

 

メスティアから2時間かけてウシュグリへ。

道もどんどんひどくなり、何度もぬかるみにはまりそうになりながら進んだ。

 

メスティアからキャンプをしながらウシュグリまでトレッキングしている人も見かける。標高が高く、木々が辺りから見えなくなりしばらく走るとウシュグリに着く。

 

死ぬまでに見たい景色というのはこの景色のことである。

 

ディト曰く、小さな村々は、ジョージア語の方言も強いため

同じ国の人同士であっても会話できないだろうと言っていた。

 

ウシュグリからは、

晴れていればアイラマ山も一望できる。

博物館や教会もある。

何がいいってこの大自然

 

同じ人間なのにここで暮らす人間は僕たちとは

1段階も2段階も次元が異なったところで生活を営んでいる。

 

トビリシへ帰った後、

 

4日目、5日目もディトは僕をいろいろなところへ連れて行ってくれた。

彼の趣味は「登山」

山に登るのが大好きである。